インタビュー

森下忠夫 高知 69期 A級1班
子供たちの灯台であれ!
 息子、娘よ、見とれ―おやじの踏ん張りどころだ。16年7月に再びS級に復活する。その準備期間として基礎から体を作ってる。「マーク屋として前に付いていくことはできても、厳しい流れに対応して、しのいでいくことができないとS級では通用しない。その体をつくっているんです」と原点に立ち返りバンクや街道でもがく。本番のレースでは疲れを残したまま臨み結果にはなかなか結びつかないが、将来を見据えての体作りだと割り切っている。

森下忠夫 69期 高知
 4月上旬に行われた地元高知のミッドナイト競輪前検日には丸坊主で現れた。「中学校の息子が携帯電話の無断持ち込みで学校に呼び出されたんですよ。ざんげの意味もこめていっしょに頭を丸めてあやまりにいこうと思ったんですよ。ほんま親バカですわ」と豪快に笑った。
 中学、高校と陸上に打ち込んでいた森下と自転車との出会いは唐突だった。当時の高校の顧問と衝突して最後の大事なシーズンに選手として出られなくなった。一転して自転車競技を始めて今にいたる。「息子も野球やってたのが、途中でテニスに変わったんだけど今は一生懸命やってる。何か夢中になれるものがあるのはいいですよね。僕のレースも時々は見てくれてるみたいだけど、親が一生懸命走っている姿をみて何かを感じてくれればいい。親は何も言わず息子を正しい道へ導き照らす灯台であるのが理想だと思ってやってるんです」としみじみ話す。
 40歳を越えて体力の衰えは否めない。それでも「同世代の村上義弘の頑張りをみてたら、体力の衰えだけを理由にはしたくなくなりますね。気持ちは一度切れたら終わり。まだやれるという気持ちをどれだけ保てるかです」と前を向く。
 ある日、小学校6年生の娘に言われた。「55歳までやってA級1班を保てたら師匠(松村信定36期・引退)を超えることになるよね」。56歳で引退するまでGIオールスターを制するなど名選手だった師匠を成績で超えることはかなわなかった。それでも長く太く続けることで師匠や支えてくれた家族に恩返しができると信じている。子供たちにまた夢をもらって、おやじは全力でもがき続ける。


高知競輪場より