インタビュー

飯塚朋子 大阪 102期 A級2班
前へ、前へ
 着実に、歩みを進めている。7月16日から川崎競輪場で行われた「ガールズケイリンフェスティバル2016」に、ガールズ1期生の飯塚の姿があった。デビュー5年目にして、初めて参戦する特別レース。競輪転向前は、MTBのダウンヒル種目で国内ランク1位の経験もあるエリートライダーだった。だが、デビュー期の2012年後期の競走得点は44.62で33人中の最下位。初勝利までには1年10か月を要した。「落ちこぼれでしたからね」と今では笑って振り返るが、そこまでの苦悩は想像に難くない。それでも諦めずに努力を重ね、14年後期には50.24、15年後期には53.00まで押し上げた。

飯塚朋子 大阪 102期
 身長は154センチとガールズでも小柄。公称49キロの体重も、現状では1、2キロ減っているという。パワー勝負では圧倒的に分が悪い。追い込み主体の競走スタイルは必然だった。「体格って大事ですよ。160センチくらいないと自力では戦えないと思います。学校時代でも、タイムトライアルは下の方でしたからね」。ところが飯塚、その不利をはね返す策を編み出す。「上位の選手でも100%の力はレースでは出せていない。70%くらいでしょう。自分は強い人の7割しか力がなくても、100%を出せば勝負になるんです」。毎回レースで出し切ることを心がけた結果、脚力の底上げにも成功した。
 「運がよかった」と飯塚は言う。「代謝制度が始まったら、自分が真っ先に引っかかると思っていた」。実際に代謝制度の審査が始まるころには"危険ゾーン"からは脱していたが、それは運ではなく努力のたまもののはずだ。「練習は街道が2、バンクが1くらいの割合でやってます。近畿は女子も多いけど、女子同士ではあまり一緒にやらないですね。西岡正一(和歌山)さんと練習するようになって、力が付いたと思う」。飯塚の言う「運」は、それだけではない。今ではガールズケイリンもレースとして成熟してきたが、スタート直後の1期生だけの戦いは、セオリーのない"乱戦"だった。「流れの中でいい位置を取る方法を覚えていって、隙間を縫えるようになった」。この経験が、上位で戦うための力になっているという。
 初めて走った「フェスティバル」。初手で有力選手の後位を取っても、勝負どころで一瞬踏み遅れ、マークを奪われるレースもあった。「こういうところは位置取りも脚力も厳しいですね。5、6着なんて普段取らないんだけど…。でも楽しいですよ。もちろん負ければ悔しいんだけど、その中で課題を見つけて、帰ったらそれを克服する練習をする。その繰り返しですから。悔しいけど、楽しい」。自分が成長するために、敗戦を受け入れる。この心の強さがある限り、飯塚の前進は続くだろう。


川崎競輪場より