インタビュー

合志正臣 熊本 81期 S級1班
肥後の大看板が復活への道を一歩ずつ
 合志が記者団と雑談しているとき、ふいに記者から飛び出した「昔はどこからでも突っ込んできたよね」との言葉に反応した。
虚をつかれたというか、そんなことを言わないでくれと歯がゆさを押し殺したような何とも言えない表情を浮かべながら。そして合志はこう返した。「あぁ、それなんです。だから、頑張っているんです」
 GI初戴冠となった2006年の全日本選抜競輪(いわき平)から今年で10年。かつては恐れを知らぬコース取りでひょいひょいとゴール線まで飛び込んでくる軽快な身のこなしが売りで、〝肥後の牛若丸″との異名を取った。そんな男も来年でもう40歳。近年は状態が上がると落車に見舞われ体調を崩す負のスパイラルに陥り成績は頭打ち。GIファイナルも2012年の高松宮記念杯(函館)以来なく、今年の5月はほぼ毎回出場していたGIでもっとも権威があるとされる「日本選手権競輪」(静岡)に出場できなかった。

合志正臣 熊本 81期
 今はビッグ戦線の上位へと返り咲くため試行錯誤を繰り返している。主眼に置くのはやはり、競輪選手の一生の課題である理想のセッティングをみつけることだ。「去年、新井(秀明)と練習した際に彼がハンドルの幅を狭くしたやつに乗っていいタイムで駆けていたんです。自分もやってみたら感じが良かった。でも2場所続けて落車して鎖骨を折ってしまいました。幅が狭いと風の抵抗を受けずにスピードが出るけど、安定性に欠けるんです」
 こうした失敗もあって一旦は頓挫したが、今年に入ってまた考え方を見直したという。ヒントは意外なところに転がっていた。「テレビでオリンピックの自転車競技を見ていたら外国人選手のハンドル幅がすごい短いなと思って。これは、乗り方さえどうにかすればものになるのかなと考えるようになった」
 ただし、競輪はやみくもにスピードを出すだけのものではない。それも追込選手は他のラインとの接触などヨコの動きに対応せねばならない。「この間の豊橋記念が収穫で。悪いときなら一杯になる展開でも、もう一度車がでた。人とぶつかるレースにも対応できたしこの先、いい感じで煮詰められそうです」
 4月に熊本県を襲った大型地震の影響でホームの熊本競輪場は未だ再開のめどが立っておらずに使用ができない。今はモチベーションの維持が難しそうだが、合志には大きな心の拠りどころがある。後輩の中川誠一郎と瓜生崇智の存在だ。合志はこれまで中川を「熊本は(松岡)貴久や松川(高大)らがいるが、本来は誠一郎が一番やらないとダメ。アイツとGIの上で一緒に走るのが目標だったし。もう10年近く言っている」と常日ごろから叱咤していた。ところが、中川は5月の静岡で悲願のGI初制覇を達成し、今夏のリオ五輪に出場するなど、気が付くと後輩はたくましくなっていた。ようやくタイトルホルダー同士で肩を並べ、今から競演を心待ちしている。また、今期デビューした愛弟子の瓜生はチャレンジ戦で6連勝中と好調で、順調に成長曲線を描く。若武者の躍動が師匠のやる気を刺激する。「(自分は)なかなか本調子まで戻らず、もうダメかと思ったこともある。でもこのまま終わりたくないし、まだやれる。だから恥ずかしくない成績まで戻していき、そこで誠一郎と(連係したい)。瓜生はまだ物足りないとこはあるけど、行くとこまでは行くでしょう。(それまでに)自分もやるんで」
 個人的な感情で申し訳ないが記者は学生時代、熊本競輪場を走る20代前半の合志を見て競輪により興味を持った。一言でいえばファンである。だから、最近の度重なる故障に震災が追い討ちをかけ、合志の気力が萎えているのではないかと危惧していた。でも、そんな素振りは皆無で本人の口から前向きな言葉が次々と聞けたため心底ホッとした。
 老け込むにはまだ早いし、昔の名前で出ていますでは決してない。中川らの上昇気流に乗っかってでもいい、不惑の牛若丸が自信を取り戻し、ビッグ戦線で大暴れする場面をみたい。


熊本競輪場より