インタビュー

市田佳寿浩 福井 76期 S級1班
闘将、前橋に再び
 6年ぶりに発祥の地・前橋に帰ってきた第25回「寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」。稲垣裕之の初タイトルで幕を閉じたが、歓喜の胴上げを行ったメンバーの中に、市田佳寿浩の姿があった。思えばその6年前、そこで胴上げされていたのが誰あろう市田。思い出のバンク、思い出の大会で、闘将が気迫をみなぎらせていた。

市田佳寿浩 福井 76期
 2010年を思い起こせば、それはベストパフォーマンスには違いない。だが、その後に待ち受ける苦難を、誰もが想像だにしていなかった。13年3月、いわき平記念で落車し、骨盤を骨折、さらに折れた肋骨は肺を突き破った。半年近い戦線離脱によって、S級2班への降格を余儀なくされ、翌14年のGI出場はゼロ。昨年の松戸「オールスター」でビッグレース復帰を果たし、今年も同所の「オールスター」を走ることはできたが、2年連続の"3走お帰り"。頂点を知る男にとって、残酷な結果は屈辱以外の何物でもなかった。
 戦時中の空襲による被害と、終戦直後の大震災から復興を遂げた福井は、「フェニックス=不死鳥」がシンボル。度重なるケガを乗り越えて、戦い続ける市田もまた、自身のフレームに不死鳥をあしらったロゴを刻む。今回の「寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」では、実に3年8か月ぶりにGIの一次予選を突破した。最終日までしっかり走り切って、④⑤⑧⑦着で存在感をアピール。「この、戦っているっていう雰囲気はやっぱりいいね。たくさん勝ち上がって近畿のムードはいいし、自分もこの場にいなくちゃいけないって思いましたよ。4日間の感触で言えば、全然戦えていた。惜しむらくは初日、もっと思い切り突っ込めばよかったかな…」。ちょっぴり悔いはある。だが、すれ違うだけでも肌が切れそうな緊張感こそが、自分の居場所。闘争本能がわき上がってきた。
 S級選手10人を含め総勢34人と、どちらかといえば小所帯の福井だが、リオ五輪代表の脇本雄太が今や全国区のスターに上り詰め、地元の競輪熱は高まっている。現在、将来の競輪選手を目指して奮闘中のアマチュアも指導している。「若い子と一緒に練習して刺激も受けているし、自分にとってはいいモチベーション。今、面倒を見ている子は素質もあるし、楽しみ。まだまだ頑張らないとね」。成績には満足できなくても、今回の戦いでやれる手応えはつかんだはず。来月には、自身4年ぶりの参戦となる小倉「競輪祭」も控える。光り輝く舞台へ、もう一度―。41歳、市田のチャレンジは終わらない。


前橋競輪場より