インタビュー

山崎 芳仁 福島 88期 S級S班
戦い続ける限り、チャンスは来る
今年、ひとつの偉大な記録が途切れたことをご存じか。1990年から毎年必ずGIの決勝に乗っていた神山雄一郎(栃木)が、2016年は一度もその舞台に立てなかった。26年連続GI決勝進出―空前絶後の大記録を追う一番手は、06年から11年続けてファイナリストに名を連ねている山崎になった。

山崎 芳仁 福島 88期
山崎の16年は、ひと言で言えば「まさか」の一年。デビュー以来初めての「優勝ゼロ」に終わったからだ。6月名古屋「高松宮記念杯」こそ勝ち上がったが、GI決勝はこの1度だけ。小倉「競輪祭」が終わった直後、岸和田記念に参戦した山崎本人が振り返る。「今年は何か成績が悪かった。力が落ちているのかも。いろいろ考えてフレームも換えたりしたが、うまくいかなかった」。試行錯誤を続けたものの、答えは翌年に持ち越された。
その岸和田記念は、黒地に赤ラインのS級パンツで戦った。身分としてはまだS班。赤パンツで走っても問題はないが、すでに年末のグランプリ出場者が決まり、そこに自分がいないことも分かっている以上、山崎なりのひとつの『けじめ』だったのだろう。「岸和田は相性いいバンク。ひとつ優勝して、いい形で締めたい」と、いつも以上に気合がみなぎっていた。初日特選は目標の菅田壱道(宮城)が不発で共倒れ。二次予選では新山将史(青森)との連係が乱れたが、自力に転じて1着。準決勝では前を任せた後輩・真船圭一郎の頑張りもあって勝ち上がり、意地を見せた。決勝は自力で戦ったものの、後方からのまくりは届かず7着。続く伊東記念は準決勝で敗れ、ついにVは果たせなかった。
10年の地元・平「オールスター」を勝ち、グランドスラム(全冠制覇)へ王手をかけた。残すタイトルは「日本選手権」のみ。16年はGI開催時期の見直しにより、ダービーが2度行われた。「これ以上ない機会」と意気込んで臨んだが、3月の名古屋、5月静岡と続けて二次予選敗退。「チャンスが来た時に取れるだけの脚に仕上げてきたつもりだったが、また来年…ですね」。悲願達成はまたもお預けとなった。
大ギアブームの先駆者として競輪界を変えた男。5月には史上25人目となる通算獲得賞金10億円突破の偉業も成し遂げた。北日本も有望な若手の台頭で、山崎が番手を回るレースも増えた。競走スタイルの変化に伴い「自分も来年は38歳ですから。年々厳しくなっていくのは仕方ない」と年齢を意識することもあるが、"レジェンド"神山のことを思えばまだ若い。山崎を中心に競輪が回る日が、またやってくる。


岸和田競輪場より