インタビュー

中山博司 岡山64期 元選手
新しい夢を追いかけて
 2016年の紅白歌合戦の大トリを務めた嵐が、歌う前に「夢は人が前に進むために必要なもの」というメッセージを贈った。50歳を迎えた岡山のベテランマーカーは「競輪で夢を追いかけることができなくなったから辞めます」と2016年12月27日の小倉を最後にバンクを去った。直前の地元玉野では、吹っ切れた笑顔をみせた。それでも最終日に7着で走り終えると、支えてくれた妻や親戚、選手仲間の出迎えに感極まった。「いろんな人たちに支えられた競輪人生だった。少しでも強くなりたいという〝夢〟を追いかけ続けた27年間だったと思う」としみじみと話した。

中山博司 岡山64期
 小学校のころからスポーツが好きで「プロのスポーツ選手になりたい」という夢を追いかけた。高校の時に自転車競技に出会い、プロレーサーになることを決意。それから23歳でデビューを果たした。30歳を越えてS級昇進も果たしたが時間はかかった。「同期同県で体もでかい三宅伸という強い選手がいた。シンに少しでも追いつくために自分が出来ることは何かないかを探し続けた。出会ったプロ野球選手やゴルファーの方にも耳を傾け、陸上トレーニングなど人とは違う練習方法を考えて少しでも上を目指した。A級で8節連続優勝という記録も達成できたし、自分なりに頑張れたと思う。ただ40歳を超えて、大ケガもしたし気持ちがあっても体力が付いていかず、思い通りのレースが出来ない葛藤があった」とモチベーションを保つのに必死の日々が続いた。そんな時に出会った町内会の会長さんに農業を勧められて引退を決意した。「60歳を優に超えている会長さんが目を輝かして堂々と夢を語ってるんですよ。そんな姿に今自分が競輪で何か夢を語れるのかと思うともどかしくて…」。
 思い出のレースは20代後半のA級時代に岸和田で地元の水島章(引退)選手と競り勝ったレース。激しい競り合いにスタンドから大歓声を浴びたのを覚えている。「僕みたいな小さな体でも人間のぎりぎりの力を振り絞って戦える。競輪は命を懸けて夢を追いかけるのに相応わしい職業だったと思う。現役を続ける選手やこれから選手を目指す若者たちに伝えたい」と力強くメッセージを贈った。そして、別のステージで新たな夢を追いかける。


玉野競輪場より