インタビュー

森啓 岐阜 96期 A級3班
素直に応援していきたい
どん底だった時期を抜け出して表情も明るくなった。チャレンジの一般戦で大敗していた頃は声すらかけづらかったが、すっかり本来の自分を取り戻した。「打鐘で画面から消えてしまう走りしかできなかった時は、腰の痛さと恥ずかしさしかなかった。さすがに選手をあきらめかけましたね。でも競輪はやりがいのある仕事。もう一回頑張ろうと誓ったんです」。

森啓 岐阜 96期
それは約2年半前のことだ。A級の初日特選に乗れるようになり、S級も視界に入るところまで成績を上げてきたタイミングで激痛は襲ってきた。元々、腰痛持ちですでにヘルニアを患ってはいたが、その時は分離症とのダブルパンチ。落車骨折も重なって文字通り負のスパイラルに陥った。医師の診断は「先天性の部分もある。スポーツをやり続けている限り完治は無理」と選手生命にかかわるものだった。
辞めるのは簡単だ。だが、誰もがなれるわけではない競輪選手。全てを任せてくれる妻の無言のエールもあって「やれるところまでやってやろう」という気持ちに変わった。その後は練習方法を変更。仲間と同じメニューを消化しようと我慢して続けていた練習が腰痛の一因にもなったことに気づき、その日の状態と相談しながら独自で行うことにした。
「最初はなかなか理解してもらえなかった。でも僕の腰の状態では一緒にやりたくてもできない。やらなくなったら腰も良くなった。バンクに入ると良くないから、今はひたすら街道ばかりです。最近は仲間にも分かってもらっています」。
戦い方は自力自在。「まずは後手に回らないこと。脚を使ってでも好位置を取る。前を任されて、相手が4コーナーまでに来なかったら1周は駆けます。基本的には何でもできる自在型ですね」。目標も明確で「30歳までにA級1班に戻りたい」と言う。しかし今はそれ以上に「普通に走れるところまで戻ってきた。レースを走れることに幸せも感じる」とも。苦しみを経験して乗り越えたからこそ、選手として人として厚みを増した印象。素直に応援していきたい選手だ。


四日市競輪場より