藤田昌宏 岡山 82期 S級2班
努力は裏切らない
元プロ野球選手で国民栄誉賞受賞者の松井秀喜氏のモットーは「試合を休まないこと」だった。競輪界でも途中欠場や直前欠場のルールが改まって久しいが(いまだに賛否両論あるにしても)、「休まない」ことがもっと評価されていい。そうした姿勢が結果につながったのが、先日の平塚「日本選手権競輪」で、43歳にしてGI初出場を果たした藤田昌宏ではなかったか。
藤田昌宏 岡山 82期
藤田は、1999年4月デビューの82期生。選手生活も20年目に突入したが、S級での優勝はまだない。だが昨年1年間の出走本数は122走。これは、2018年のS級S班9選手の平均が69走ということを考えると、なかなか大した数字だ(新田祐大、渡邉一成は競技との兼ね合いで極端に少ないにしても、である)。しかも、藤田に関しては失格0、落車棄権も1回だけ。「去年は補充も断らずに、とにかく走ってきた。9月ごろに周りが『賞金でいけるかもしれんぞ』って騒ぎ出したもんで、自分もその気になって」。さすがにダービー直前の追加は「ケガでもあったら大きな舞台に失礼になると思って」断ったそうだが、「久々すぎて断り方を忘れた」と周囲を笑わせていた。
さて、藤田にとっての夢舞台―初のダービーはどうだったのか。一予は展開なく9着、残る2走も7、5着と、爪痕を残すことはできなかった。3走で「お帰り」が決まった藤田だが、表情はこれ以上なく明るかった。「(ダービーに)出られて幸せです。この舞台を知らないで終わる選手がほとんどだし、自分も(出場を)考えたこともなかった。でも実際に経験して、なんかいけるんじゃねえかって。勝負どころで遅れることもなかったし、もっとやれると…」。強がりではなく、本気の手応えを感じ取っていたからだ。
ならば、当然夢は広がる。「絶対、来年も出たいと思ったし、他のGIにも出てみたい。ダービーに出る方法は分かったので、競走得点をあと5点くらい上げていければ。そうなれば普段の番組も変わってくるし、より(GIに)出やすくなるはず」。最高峰の迫力、そして緊張感が、藤田にとって人生の転機になったのは間違いない。「これ味わったら、やめられないですよ」。去り際に放ったひと言は、すべての競輪選手へのメッセージにも聞こえた。
平塚競輪場より