インタビュー

久米康平 徳島 100期 S級1班
地元の追い風に乗れ!
5、3、6着。一見平凡に映る着順だが、本人にとっては内容の凝縮した、現時点での集大成の成績だった。「3走とも自分で動いてレースを作るというテーマを貫けたし、力は出し切れたと思う」と3日間のレースを振り返った。

久米康平 徳島 100期
2011年7月にデビューして、たどり着いた最初のGIの舞台が18年5月の平塚日本選手権だった。1次予選は打鐘から先頭に出て、竹内雄作を突っ張って逃げた。最後は竹内番手の吉田敏洋のまくりに屈したが、見せ場を作った。2走目は打鐘から仕掛けて、強引先行の早坂秀悟にすかさず叩かれたが、3番手を確保。最終バックで仕掛けて、早坂―坂本健太郎と続いた2人と直線で接戦に持ち込む3着だった。3走目は残り1周手前で迷いなく駆けて、番手阿竹智史の1着に貢献する、粘りの6着だった。
ダービーを経験したことで課題も見つかった。ダッシュを利かせた走りでレースは作れたが、最後のもうひと踏ん張りが足りない。トップスピードと持久力の維持へ、小松島の海風を浴びてもがく日々を続ける。周りの刺激には事欠かない。地元バンクには、GI制覇に最も近い男の1人である原田研太朗、新進気鋭の後輩・太田竜馬や島川将貴。さらに今回同じGIの舞台を踏んだ弟子の小川真太郎と、次から次へ本格派の強い先行選手が台頭してきた。「弟子(小川)の活躍はうれしいけど、素直に喜べない複雑な心境もありますよ。強い後輩たちに乗り遅れないように、今は自分が頑張るしかないですから」と前を向く。
小学2年の時に祖父に連れられて、バンクで走るレーサーに魅了された。それからはプロレーサーになることしか考えず、ここまできた。身近にいた叔父・康隆(65期・引退)の存在も大きかった。「自分の中ではもっと早くGIを走るつもりだった。S級1班になったのも遅れた。でも経験できたことで、もっと強くなりたい。もっとGIを走りたいという欲が出てきた」。
モットーは「不言実行」。黙々と地道にやってきてたどり着いた18年のS級1班とGI出場だが、強い後輩たちと4月に結婚した妻の存在がさらに後押しする。「小松島の追い風に乗れ!」と――


小松島競輪場より