インタビュー

中川誠一郎 熊本 85期 S級1班
謎の「追い込み宣言」から4ヵ月
 中川誠一郎の近況が充実著しい。5月宇都宮と8月松戸の両記念を制し、5月名古屋と7月福井記念では決勝2着で準優勝。さらに5月の平塚「日本選手権」の初日に番手の荒井崇博のバンクレコード(10秒4)に貢献する快速まくり(2着)で10秒6をたたき出したと思えば、優勝した宇都宮では初日特選を13秒1のまくり差しで突き抜けてバンクレコードを更新した。

中川誠一郎 熊本 85期
 自力で勝つ場合は後方からシャープに突き抜けるケースがほとんど。それは位置取りが苦手というか、位置取りをしようとしないからだ。実際に変にやる気を出して位置を取りに行っても、脚を使うだけ使って最終ホームでは後方7、8番手に置かれることが多い。位置取りをしなくても勝てるのなら、変に脚を使って好位を狙う必要がない。
 だから競走中は、神経を削るほど位置取りに執念を燃やすライバル達の動きを、半ば開き直ってひょうひょうと眺めているかにみえる。「まぁ、地元記念とかでスイッチが入ればやることはやるんですよ。ただ普段はそこまでは…。別にスイッチを切っているわけではないですけど」。
 スタイルはデビューから不変で、今さらヨコにこだわる姿はとても想像できない。だから、4月の川崎ナイター記念の際に「今後は追い込み選手を目指す」と謎めいた転向宣言をした時は、選手仲間、周囲の関係者そしてファンの頭の上に?マークが浮かんだはずだ。
 もちろん、本人の思惑通りにいかず、その後も自力番組が連続。一時はやさぐれていたが、成績が上昇するにつれてうやむやとなった。本人も「後ろを回りたい気持ちはあるけど、動く番組が多いので…仕方ないですね」と、今ではそこまでこだわっていない。
 そもそも、もっとも適さない追い込み型を目指すことが不可解だった。ただ、本人の中では年齢的なもの(来年で40歳)や、これまでラインを組んだ選手に「後ろに付けない」と言われたり、数場所前に貢献した番手選手と別線になった際に容赦なく競り込まれたり、はたまた勝負どころで味方の番手選手に内をしゃくられたことが続いたといい、不信感の積み重ねも遠因にはあった。
 つまりは、気の迷いから発した突発的な宣言であり、撤回をすることに情状酌量の余地はある。
 いまは「選手になって身体の動きが一番、軽い。自分はどうやら晩成型だったみたいです(笑い)」というように自他とも認める絶好調モードに突入しており、鬼の踏み出しに百戦錬磨の面々がことごとく離れている。また誰もが離れる脇本雄太の踏み出しにピタリと続く脚がある。
 これからも番組の構成と展開がかみ合えば、あちこちで度肝を抜くレースを披露するはずだ。今後も「気持ちは追い込み選手です」とのコメントを目にする機会もあるだろうが、あくまで参考程度にして、笑顔でいなしてほしい。


熊本競輪場より