インタビュー

中釜章成 大阪 113期 A級3班
捲土重来を誓う
 デビューから2カ月で天国から地獄を味わった。デビューから5場所目、7連勝で特別昇班まで後2勝と迫った前橋でゴール直後に落車失格。右肩甲骨を骨折して入院。長期欠場を余儀なくされたのだ。それでもめげていない。「むしろデビュー前より、やる気満々ですよ」と軽く笑い飛ばした。捲土(けんど)重来を誓う。

中釜章成 大阪 113期
 113期として18年7月大宮でデビューした。競輪学校時代の成績は、57位と低迷した。それでも「学校の成績は、デビューすれば関係ない」と先輩の励ましを糧に卒業後は猛特訓に励んだ。練習仲間と重ねた街道やバンク練習で手応えを感じてデビュー戦に挑めた。3場所目の富山で完全Vを決めると続く地元の岸和田も完全Vを決めて自信を膨らませた。
 岸和田は、競輪ファンの両親に幼少の頃に連れてきてもらった特別な場所だった。章成(としまさ)の名はレジェンドのFI先行(吉岡稔真)を意識したものだった。その期待に応えて高校でプロレーサーになることを決意した。14年のグランプリ観戦はそれを決定的にした。その地元の予選、準決は、持ち前のダッシュを生かして後続を引き離し勝ち上がった。決勝は「ここで勝って次で特別昇班を決めたい」と話す中釜に練習仲間で同期の中武三四郎が先導役を買って出た。同じく同期で11戦10勝の強敵の磯川勝裕相手に力強い味方ができた。中武と磯川で壮絶な主導権争いとなったが、中武番手から磯川の反撃を断ち完全Vを決めた。
 7連勝で迎えた前橋の準決は「(特別昇班を)絶対に阻止する」と燃える同期の渋谷海と一騎打ちになった。渋谷をたたいて主導権を奪取。しかし追いついてきた渋谷を阻むために慣れないブロックで落車した。「岸和田からの流れで絶対に決めたいという気持ちが力みにつながった」と落車を悔やんだ。
 前橋から帰り、骨折が分かり安静のため約1カ月の入院が決まった。体を動かせないことで「早く自転車に乗りたい」という気持ちが猛烈に強くなった。休み明けの10月の復活戦でこの気持ちを爆発させる。ゼロからのスタートにはしない。「後続をぶっち切るような自力でS級に上がる。S級では勝ちにこだわる選手になる」という目標に向かって、さらなる進化をみせる舞台にする。


岸和田競輪場より