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舛井幹雄 三重 S級2班
正解がないのも面白さだからね
 最終日に待望の1着を取ることができた。地元地区開催の岐阜記念。⑨⑦⑥着と厳しい競走が続いていただけに、レース後はひと安心する姿があった。「特に2日目は絶好の展開だったからね。いままで頑張ってしのいできただけに悔しかった。でもこれで3日間の悪い流れを断ち切って次につなげられる」と前を向いた。
 今年の頑張りは自他ともに認めるものだ。1月の地元・松阪記念で決勝進出。
 5月の全プロ競技のエリミネイションでは6年ぶりの優勝。寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントGIの出場切符を手に入れた。「同期の岩見(潤)に言われたよ。選手生活27年目で一番充実している1年じゃないかと」。ベテランはうれしそうに笑った。
 体格に恵まれているわけではない。身長は170センチに届かず体重は60キロ台。細身の体型はS級で戦い続ける選手には見えない。しかし誰よりも自分自身を研究し、知り尽くす。「10年前にそれまでやり続けていた練習はできなくなった。そこで考え方を変えて、抱えていたものでいらないものをいろいろ捨てた。残された80%で行けると分かったんだ」。その結果が6年前の岸和田での全プロ競技のエリミネイションVだった。
 40代でもまだやれる。だから自然に目が行くのはA級で壁にぶつかっている後輩たち。工夫や練習方法次第では誰にでもチャンスはあると考えている。「僕のように体格に恵まれてなくて一生懸命やっている20、30代の選手がいる。それでS級に上がれればいいけど、どこかであきらめてしまう。そんな時に僕を見てまだ10年あると思って頑張ってほしい。そんな立場になりたいね」。
 大好きな自転車に長く乗っていたい。そんな思いがあるから人は自然に集まる。今は競輪選手志望の中学生3人の練習の面倒を見ている。「男子2人に女子1人。週末に一緒にやっている。自分が苦労してきたから、頼られると真剣になっちゃう。ここでも僕を目標にしてもらえるように頑張らないと」。そんな仲間たちが岐阜記念にも応援に駆けつけていた。
 次の目標となる寬仁親王牌では何らかの爪痕は残したい。しかしマイペースを崩すことはない。「おそらく、何か特別な準備はしないよ。松阪記念は少し昔の練習法を取り入れてうまくピークに合わせられたが、その後に反動で落ち込んだからね」と苦笑した。
 年齢的な衰えの中でどのように生き残っていくか。自分より年上の選手がまだ大勢頑張っていることも刺激になっている。「自分だけでなく周りも変化していく。付いていくのは大変だけど、正解がないのも面白さだからね」。これは競輪選手に限らず、どんな世界にも通ずるのではないだろうか。


岐阜競輪場より