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直送!競輪場便り
大城慶之 大阪 A級1班
九転び十起き
 何度でも這い上がる。先行して勝ち切れなかったチャレンジ時代。落車のダメージによるケガ、そして20年を襲った新型コロナウイルス拡大防止に伴う2カ月半にも及ぶ開催中止。そしてようやく6月からあっせんが入り復帰3場所目の7月の大垣2日目では、巻き返しを先行の番手にブロックされて金網にぶつかる事故で欠場を余儀なくされた。それでも「あの頃のことを考えたら、どうってことない」と思えた。痛みは残ったが、すぐに練習を再開して8月末の復帰戦に備えて体調を整えてぶつかるだけと開き直れた。
 113回生として競輪選手養成所に合格するまで9回の挑戦が必要だった。23歳で最初に適性試験で受けてから、年は32を超えていた。「何度も何度も心が折れそうになったけど、自分の体ひとつで独り立ちできる仕事をしたかった。それができてる今は楽しくて仕方がない」としみじみと話した。
 高校3年の時に漫画「はじめの一歩」の影響でボクシングを始めた。ジムに通い大学を卒業するまで続けてプロのライセンスを取った。いざデビューする時に「ファイトマネーはチケットを自分で売った分」と言われてぼうぜんとなった。そんな時期に自転車でかなりの年収を稼ぐ競輪選手の特集番組をテレビで見て一念発起。ボクシンググローブから自転車のハンドルに握る道具を変えて新たな挑戦が始まった。奈良の自転車愛好家に入り受験を続けたが朗報はなかなか届かなかった。それでも頑張れたのは水道関係の仕事を経営し、仕事を手伝うことで生活を支えてくれた家族のおかげだった。
 練習は試行錯誤しながら街道を1人でもがいている。最近は5倍のギアで負荷をかけてもがく練習に手応えがあった。「落車した7月の大垣でもバンクが軽くてレースが楽だったんですよ。それだけに欠場が悔やまれます」。
 レースでもカマシ、抑え先行と戦法を自在に変えながらじりじりと競走得点を上げてきた。「7車が中心の今のレースでは抑え先行だけではきついですね。でもカマシ、まくりだけでは本当に力がつかない。先行選手としてS級に上がるのが今の夢。そこから先は想像がつかない。とことん自力選手とやれるところまでやっていくつもりです」。苦労してつかんだレーサーとしての可能性をとことん追求して完全燃焼あるのみだ。


大垣競輪場より