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城戸俊潔 岡山 A級2班
石丸II世へ 行ける所から行け!
「岡山を代表する自力選手になりたい」―目を輝かせて話す。170cmに満たない小柄ながら、がっちりした体幹を備えたスプリンターは21年からS級に挑戦する。強烈なまくりを武器にGI制覇まで後一歩まで迫った石丸寛之の愛弟子だ。その教えは「行けるところから、行け」とシンプルそのもの。車誘導や山道の街道練習に黙々と付き合ってくれた師匠の期待に応えるためにS級定着を狙う。
S級の舞台に向かう前哨戦として20年11月月末の高松FIA級決勝は、本気で完全優勝を狙いにいった。S級の戦いは往年のトップスピードを取り戻した北津留翼の独壇場。他地区の選手をつかまえて自転車談義に終始してリラックスムードの北津留とは対照的に集中力を研ぎ澄まして挑んだ。人気は同じく完全Vを狙う小原周祐だったが、先行する同期の宮崎大空を力でねじ伏せ、最後は小原の反撃を断ち押し切る完勝劇。「先輩の高橋(清太郎)さんが組み立ても任せてくれたし、考えて自分のレースができました」と先行して勝ち上がった初日、準決と合わせて会心の3日間となった。
小学校から始めたサッカーは高校まで11年間やり切った。中学の時に叔父の藤岡隆治のレースを玉野で見てレーサーに憧れた。藤岡に石丸を紹介してもらい師事を仰ぎ、愛好会を経て2回の受験で選手養成所に合格して115期としてデビューした。「サッカーでもフィジカルで勝負するFWだったんですよ(笑い)。小さい事がハンディだとは思わない。タテもヨコもできる清水(裕友)選手のような自力選手としてS級で活躍したい」。
理想と現実のギャップは遠く、課題は山積みだ。3月は別府で落車して初めての鎖骨骨折で長期欠場を余儀なくされた。復帰した6月でも落車して同じ箇所を痛めた。「初めてレースで恐怖心を覚えた。無理な先行をしたりして自分の仕掛けができなくなった。でも今は肩の痛みもなくなり恐怖心も消えてきた」とメンタル面はリセットできた。「現状ではS級で通用しないのは分かってます。でもシンプルに駆けられる7車立ての利点も生かして多くの事を学んでいきたい」。不安だけでなくワクワクする気持ちものぞかせて果敢にアタックだ。


高松競輪場より