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恩田淳平 群馬 S級2班
流れに乗って、さらに上へ
よく「こっそり勝ち上がる」という言葉を聞く。本線になる選手がいれば、当然ライバルの別線勢はあの手、この手で何とか一矢報いようとする。力が下と見られている選手でも、道中で派手なまくりを決めたり、長い距離を駆けて押し切ったりすれば、次は相手に警戒される。だが、レース中は気配を消し、ここぞの勝負どころで力を集中していけば、格上相手にひと泡噴かせることもできる。和歌山で1月9日から行われた岸和田開設71周年記念「岸和田キング争覇戦in和歌山」決勝には、S班の和田健太郎、松浦悠士、守澤太志に加え、復権を期す浅井康太、地元の稲川翔らそうそうたるメンバーが顔をそろえたが、そこに「こっそり」恩田の名前もあった。
恩田といえば、1981年の千葉「日本選手権」決勝2着の康司さん(40期)を父に持つ二世選手。康司さんはスタンディング(発走機からのダッシュ)の早さで鳴らし、一時代を築いた。その千葉ダービーでもスタートを取って中野浩一(35期・引退)を迎え入れ、優勝した中野のまくりに付け切った準Vだった。恩田は父の引退から3年後の2011年にデビュー。だがS級上位の壁は厚く、競走得点はなかなか100点台に乗らなかった。この和歌山でも、一次予選は5着。二次予選は繰り上がりの3着。それでも「7車立てならタテ重視だと思って、フレームとかも替えていたけど、(9車なので)全部戻してきた。それがいい感じに出ているのかも」と、18年11月の防府以来、自身2度目のGIII準決勝進出を喜んだ。
勝負の準決勝は、川口聖二-浅井-吉田健市、松浦後位を池田憲昭-中村圭志と和田圭-新山将史が競り合う構図。恩田は単騎で戦うことになった。打鐘で叩いて出た川口ラインを追走、松浦は最終ホームから反撃。番手は和田が取り切ったが松浦を追えず。車間を大きく切った浅井が川口を残しにかかるが、松浦のまくりに合わせて踏み込む。恩田は吉田をゴール前で抜いて、浅井、松浦に続き3着。記念初決勝を決めた。「勝ち上がれたのはうれしいが、今日は付いているだけじゃなくて、自分で踏み込むイメージだったのに…力不足です。松浦君のまくりにスイッチしてコースを探すつもりが、そこまで余裕がなかった」と、レース内容には納得いかない様子だった。
自力主体の攻めが基本だが、時折番手勝負も見せる。その器用さは時に中途半端ととらえられ、ラインができないことも(準決勝はまさにそれ)。得点の伸び悩みもそこに一因がありそうだが、恩田は言う。「本当は力勝負したいんだけど…。他人を連れていくのはけっこう重荷に感じることもあるし。ただ、他にスピードをもらうのは好きなので。自分にとってのGIIIは、他の選手のGI、GIIと同じ。だからひとつでも勝ち上がりたいし、その気持ちが今回いい方に出ているのかもしれない」。決勝はグランプリ2Vの浅井の後位を得たが、最終4コーナーで浅井の内へ差し込んで接触、落車(携入8着)。悔しい結果に終わった。とはいえ、未体験のステージをひとつクリアしたことで、また次の目標が見えてくるはず。いずれ、父も戦ったGIの舞台へ―。今後の戦いにも注目したい。


和歌山競輪場より