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直送!競輪場便り
北津留翼 福岡 S級1班
翼を見よ!これが強者の脚だ
21年に入っても輝きを放つ。2月のGIII高松開設70周年記念「玉藻杯」の3勝は、優勝した松浦悠士と並ぶ強烈な印象を残した。
初日特選は、単騎での戦い。珍しく(?)俊敏な立ち回りで3番手に付けると、SS班の松浦、平原康多を後方に置いて2角まくりで反撃を断った。二次予選は新鋭・町田太我の先行を後方7番手からまくり追い込みでねじ伏せた。「強い人ばかりで飲み込まれるのを覚悟で…」「オヤジ狩りに遭うだけ…」といつも通り謙虚な言葉が続くが、上がり11秒1で飲み込んだ足は本物だった。準決こそ不発に終わったが、最終日も後方からまくり追い込んで「オヤジ強し」を見せつけた。
復活の狼煙は、昨年9月18日の伊東温泉競輪場で行われたGII共同通信社杯1次予選だ。単騎の競走となり位置取りも悪く最終ホームまで最後方のレースを強いられた。しかしそこからの追い上げには息をのんだ。5番手から会心のホームガマシで先行する松浦をゴール寸前でとらえたのだ。「あれをまくられたのはショック…」と松浦も落胆の色を隠せなかった。現在の最強選手の一人を9番手からスピードで抜き去っただけに強烈なインパクトだった。
浮上のきっかけは6月の松山FIから換えたフレームだと話す。「競走得点が落ちて、さすがにこのままではだめだと思ってメーカーを換えたんです。前に進むスピードの乗りが良くなりました」。FIでは7車立てのレースが中心になったのも大きかった。「後手になっても巻き返しが利くしシンプルに駆けやすくなった」と存分にトップスピードを生かせるレース形態も追い風となった。
競技者としてジュニアの時代から世界の舞台で活躍、鳴り物入りで05年に競輪デビュー。2年余りでGI決勝進出、記念Vも果たしスター街道を歩んだ。後一歩まで迫ったGI制覇の頃と同じで、練習ではピストを使わず、山道でマウンテンバイクを使って楽しんで行うスタイルは変わらない。検車場では他地区の選手とも満面の笑みを浮かべて自転車談義に花を咲かせる。いつの間にか練習には中学3年生の娘や小学校5年生の息子、姉の子供まで加わった。「みんな競輪選手になりたいって話すんですよ。うれしいじゃないですか」。勝負事には淡泊でも、心から自転車を愛する万年少年が「好きな事を太く長く続けていきたい」と子供にも刺激を受けてGI、GIIの大舞台でもそのスピードで魅了する態勢が整った。


高松競輪場より