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直送!競輪場便り
神田龍 三重 S級2班
「絆あってこその今」
 様々な世界に師弟関係は存在するが、競輪のそれもまた特殊だ。形も結びつきの強さも人それぞれだが、多くの場合は重く、そして尊い。7月1日から行われた小松島競輪開設71周年記念「阿波おどり杯争覇戦」。初日のハイライトは、予選7Rだった。今期から57歳にしてS級に復帰した萩原操(三重)と神田、そして積極駆けが身上の山田諒(岐阜)の中部3車の構成。山田―神田―萩原の結束が予想された。
 だが神田は当然悩む。イケイケの山田の番手はもちろん魅力的だ。だが萩原は、自転車競技経験もなく、競輪界に飛び込んだ自分を鍛え上げてくれた恩義ある師匠。3番手を回らせていいのか…。結論は「自分も自力で戦っている以上、師匠と同じレースの時は前で戦いたい」。山田に断りを入れて別線勝負を打ち出した。師匠と同時の配分も「何年かぶり」だったそうだが、「これからこういうチャンスがいつ来るか分からない」と、悔いを残したくない気持ちが上回った。レースは四国3車が付いた山田の先行を、最終ホーム8番手から神田がまくったが、ゴール前で小埜正義(千葉)の強襲を浴びて2着。萩原は踏み出しで離れ9着だった。「失敗しましたね」と絞り出した神田に、勝ち上がりの喜びは感じられなかった。
 神田自身は、5月の向日町で途中欠場し、1か月以上配分が空いた。「休んでいる間に、新しい自転車ができた。それが合っているみたいで、小松島の前の2場所(6月大垣、名古屋)も連続で決勝に進出できた」と、手応えを得て乗り込んできた。それに加えて、師匠との同時配分。気合が入らないはずはなかったが、二次予選8Rで敗退。「勝ち上がりのレースで自分に足りない部分が出た。3番手が取れた時点で、すかさず行くくらいじゃないと…」と悔しがった。ここで沈んでいるようでは、師匠の面目も立たないとばかりに、3日目9Rはまさかの敗者戦回りになった松浦悠士(広島)相手に気迫の打鐘先行で見せ場を作り、場内を大いに沸かせてみせた。
 これに触発された師匠・萩原もタダでは終わらない。7車立ての最終日4R、打鐘の3コーナー過ぎに3人が落車。4番手の萩原が最終2コーナーからまくって先頭に立った(!)。57歳がS級でバックを取る…。魂を揺さぶられた神田も、その後の7Rでロングまくりを敢行、今節2度目の2着でシリーズを終えた。「最終日は師匠のまくり見て気合が入りましたね。自分は、かぶったところでスピードがだいぶ死んでしまったけど。3日目は松浦君相手に力を出し切れたし、最近はずっと調子がいい」と、ようやくマスク越しに笑顔をのぞかせた。
 神田に、鉄人・萩原操を語ってもらった。「師匠はやっぱり自分が練習する人だから。それが操さんです。続ける力、休まないこと。それが一番の教えです。操さんの弟子は若手もガールズも、みんな育っている」。背中で教えてもらって、今がある。そして「今は同門の皿屋(豊)さんとかと一緒に練習しているが、自分も大きいレースを走りたい。追い付きたいですね」と夢も膨らむ。振り返れば、初日の別線勝負について、萩原も弟子を思いやっていた。「そりゃそうなるよ。オレでも師匠と一緒なら、そういう判断をするわな」。受け継がれていく思いとともに、神田がさらなる成長を遂げる日も近い。


小松島競輪場より