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松本ちひろ 山口 L級1班
努力の先に花が咲く

 5月の「ルーキーシリーズ」デビューから数えて9場所目の8月岸和田で、初の決勝入りを果たした。初日の予選1で落車、失格が相次ぎ、最終日の一般戦が組めずカットになる荒れた開催だったが、松本は初日、2日目と女王・児玉碧衣(福岡)と対戦し、3、3着でファイナル切符をつかみ取った。ただ、初日は児玉に真後ろからまくられ、失格者が出ての繰り上がり。5車立ての2日目は、初手から児玉後位を得たが、勝負どころで日野未来(奈良)に入られ、大きく離されての入線。「最後までしっかり付いていって、ゴール前勝負できればよかったが…。課題はダッシュ。まだまだ力が足りませんね。落ち着いては走れているけど、決勝に乗れたのはラッキーでしかない」と、悔しさもにじませながら振り返った。
 松本は9歳から始めたサッカーで、メキメキと頭角を現し、年代別の日本代表(U-13、14)に選出されるなど、将来「なでしこJAPAN」入りを期待させる逸材DFだった。名門・日ノ本学園高ではインターハイ連覇などの実績もあったが、日体大進学後は徐々に試合出場の機会が減り、サッカーからの引退を考えるようになった。その頃、父・篤浩さん(68期)の引退レースを観戦。「父は決して強い選手ではなかったが、25年走り続けた。諦めない姿を見て、競輪選手を目指すことにしました」。サッカーエリートとはいえ、自転車はゼロからのスタート。大学卒業後に適性で1回、技能で1回受験したが失敗。3度目の挑戦(技能)で日本競輪選手養成所に合格した。
 サッカーで培ったのは、冷静な判断力だろう。念願叶ってデビューした後は、ルーキーシリーズから苦戦が続いた。初の決勝は「これをやる、と決めたことができるように」と、前受けから好位立ち回りをもくろんだが、流れにのまれて6着。「焦りがないわけではないけど、自分の今の実力ならこれくらいの成績になるだろうと予想はできていた。それでも(競走得点)47点はキープしないといけないですね。そのためには、何でもやって脚力を付けていかないと。同じ7着でも、何もしないのは意味がないし、一走ごとに必ず何かをつかんで終わることが大事だと、父にも言われています」。実戦を重ねれば、脚力はいずれ付いてくる。どの競技でも、日本一になるには日本一の努力をしなければならない。その道を通った人間は、別の競技でも花を咲かせることができるはずだ。努力の大切さを知る松本が、ガールズケイリンで飛躍する日も近い。


岸和田競輪場より