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堀兼壽 岐阜 A級1班
自分の主戦場
 好事魔多しとはこのことだろう。7月は大垣と取手で2場所連続の優勝。
しかし、勢いにも乗って練習や競走に集中していたタイミングで持病の腰痛に襲われた。
「レース中から怪しいなと感じていた。やった瞬間は、選手としては終わったと感じたほどでした」。
無理をすると痛み始めるヘルニア。手術をすれば完治する可能性は高いが、リスクも伴うだけにプロスポーツ選手については、医師は二の足を踏むのだという。
 右肩上がりの成績も調子もこの腰痛により一時停止。1カ月半のレースブランクができた。
「3週間はまったく乗れませんでした。練習ができないと脚は一気に落ちます。せっかくここまで積み上げてきたのに、もったいないですよね」。
 それでも堀は前を向く。5年前にS級には上がったものの、その後、再びA級生活が長く続くのは腰痛が原因。付き合い方は分かっており、乗り越えられる試練と捉えている。
「できないこともあるけど、できないなりにやれることもある。脚を早く戻したいとは思うが焦りはない。復帰戦の前回別府(9月15日)も決勝には乗れたし、しのげましたから」。
そして、続く豊橋も初日特選から2戦連続の2着で決勝切符をつかんだ。
 気付いたことは戦法でありレースへの取り組み方。競輪選手を長く戦い続けるには、自分の主戦場を見つけることがもっとも大切だと悟った。
「押さえて駆けて逃げ切れたら楽しいでしょう。でもそれは無理。別府で対戦した新人の犬伏(湧也)君なんてとてもかなう相手ではない」。
導き出した答えは、いかにしぶとく走り、どうしのぐかということ。
「犬伏君と100回対戦したら、そのうち20回は2着を取れる走りをすること。大敗せずに決勝にも乗る。それが別府の準決勝です。もちろんチャンスがあれば優勝も狙う」。
 当面の目標はS級に定着すること。来期はS級復帰が決まっており、現在は1年通じてS級で戦えるようにS級点確保に勤しむ。「今の若い新人は昔と違って強い。でもすでに脚力が決まっている自分と人を比較しても仕方がない。競輪は相手が強くてもやりようがありますから」。
 すっかり大人の考えになったのはやはり家族の存在。養い育てていかなくてはならない自覚が勝ち上がる術を気付かせてくれた。
「以前は若さだけで走ってS級にも上がったけど今は違う。いかにしぶとく走るか。そして何とかなるという精神ですね」。
これからさらにいい選手になっていきそうだ。


豊橋競輪場より