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神田紘輔 大阪 S級1班
進化する浪速のマーカー
21年は2月の全日本選抜から11月の競輪祭まですべてのGIに出場を果たした。大阪を代表するマーカーとして足跡は残したが特筆すべき活躍はできなかったのが悔しい。「足りない現状と課題を思い知らされた1年でした」と振り返る。それでも「まだ伸びしろはあると思っているし、GIで勝つためのタテ足を付ける基礎の練習をやり直してます」と前を向く。
大学から始めたトライアスロンで初めて自転車競技と向き合った。経験のあった水泳や陸上と違い自転車競技には戸惑いは隠せなかった。「一番遅く始めた自転車を職業としているんだから不思議ですよね」と振り返る。就活で競技は辞めて大手企業に内定をもらった。卒業を前にトライアスロンの練習を再開。集大成にしようとした大会前に競輪選手と街道練習をする機会があった。その2人と互角以上に渡り合って勧められたのが運命を決めた。養成所には一発で合格。悩んだが「競輪やるなら縁を切る」とまで話した祖父を始め反対の声を押し切ってレーサーの道に進んだ。アスリートとして「自分の努力次第で収入が高くなる」純粋な世界への憧れを捨て切れなかった。
11年デビューから19年にはS級初優勝を飾るなどS級1班に定着。今年8月にS級特昇を決めた117期の土生敦弘を弟子に持ち、練習に付き合うための地足を付けるトレーニングも21年の好調を支えた。3月には岐阜、川崎で連続V、勢いを付けて挑んだ京王閣の日本選手権は初日こそ8着に敗れたがその後は2、1、3着にまとめてGIで存在感を示した。「弟子に刺激をもらったし、2月に取り入れた松浦悠士モデルのフレームもはまった。マークしてても余裕がありましたね。今を思えばあの春先がピークでした」。
再び調子が上がってきた10月の久留米記念では2次予選で初めて脇本雄太の番手に回るチャンスもあったが、脇本の欠場で幻に終わる。競輪祭直前の地元岸和田FI準決勝は山口拳矢と組んでワンツーを狙ったが別線の激しいブロックで共に落車。その影響で競輪祭では力を出せなかった。
「GIを全部走ったことでいろんな経験をさせてもらった。今の立場にいれば脇本の番手とかチャンスのある位置を回ることもできる。来年(22年)はまた弟子や練習仲間の窓場千加頼、大石崇晴と全くタイプの違う自力ばりばりの後輩たちともまれて飛躍を狙いたい」。参加するだけでは意味がない。反対した祖父に認めてもらうためにもGIでの活躍を目指して新たな年に向かう。


岸和田競輪場より