今回の闘将列伝は福岡の紫原政文選手です。09年にはS級S班としてトップクラスの戦いを見せてきた紫原選手。近況は落車の影響などもあり、結果には恵まれていませんが、3月5日で45歳になろうとする今もタイトルへのあくなき執念は衰えていません。今回の闘将列伝ではそんな紫原選手の25年間の選手生活を振り返り、同期の「あの2人」に対する思いや、今後の目標などを聞きました。
─まずは、選手を目指したきっかけから教えて下さい。
「同じ久留米出身で、中野浩一さんっていう大スターがいたので、小学校の高学年くらいから競輪選手になりたいなっていうのは思ってはいたんですよ。それでも、設計技師になりたいっていうのもあって、高校は県立八女工業高校に進学したんです。でも、それがたまたま中野さんの出身校で。さらに、中学の時に陸上をやっていたので、高校でも陸上をやろうかなってことで、陸上部に入ったら、中野さんも高校時代は陸上部で。それで、陸上部でインターハイに行く前とかには中野さんが激励に来てくれたりしたんですよね。そうやって、中野さんと何度か会う内に、やっぱり競輪選手になりたいなっていう思いが強くなったのがきっかけですね」
─それで、そのまま中野さんに弟子入りしたんですね。
「陸上部の監督が中野さんの代からの監督だったので、その人に『競輪選手になりたいんです』っていう話をしたら、『じゃあ、中野と会ってみるか』って感じでセッティングしてもらって、中野さんに弟子にしてもらったんですよね」
─中野さんの指導は厳しかったですか?
「いや、そんなに厳しくはなかったですよ。というのも、競輪学校に入る前まではほとんど一緒に練習したことがなかったですから。いつも、同じアマチュアの兄弟子と一緒に練習してましたしね。中野さんと一緒に練習する様になったのは競輪学校を卒業したその日からですね」
─ところで、紫原選手は61期として競輪学校に入学していますが、同期には数多くのタイトルを獲得した神山雄一郎選手や山田裕仁選手がいますが、2人は学校時代から違っていました?
「神山は皆さんの想像通り(笑)、学業優秀だし、自転車でも高校ですごい成績残して競輪学校に入ってきていたので、自転車経験がほとんどない自分からしたら、目標というか憧れの存在みたいな感じでしたね。山田は競輪学校の成績はそんなに良くなかったんですけど、競走訓練で時おり見せるスピードや一瞬のキレが凄くてね。それが、いつも出る訳じゃなかったんですけど、ツボにはまった時が、本当に目を見張る様な強さを見せていたので、将来はトップで活躍する様な選手になるんだろうなっていう目では見ていましたね」
─結果、その予感通り、2人とも競輪界の頂点まで登りつめた訳ですが、同期としてやっぱり悔しさはありましたか?
「それはもちろんありましたね。当然、負けたくないっていう気持ちもありましたし、そういう気持ちがあったからこそ今まで頑張ってこれたのかなと思うんです。それに、九州には吉岡(稔真)っていうスター選手がいたじゃないですか。自分も彼の番手は何度も回らせてもらったんですけど、あの位置は『優勝に最も近い様で、最も遠い位置』でしたからね。いつか、吉岡を抜いてタイトルを獲るんだっていう思いで練習していたので、吉岡の存在も大きな刺激になってましたよね。そうやってライバルや仲間に恵まれたことは本当にありがたいことですし、彼らには感謝の気持ちでいっぱいです」
─そんな紫原選手は今年の5月で選手生活26年目に突入するんですよね。この25年間を振り返ってみていかがですか?
「25年っていう数字だけを聞くと長い様に感じますけど、あっという間でしたね。この25年の間に色んなことがありましたけど、早く感じるっていうことはそれだけ充実してたのかなと。いつもレースが終わって家に帰ると、早くレースを走って、緊張感を味わいたくなるというか。そういう感じであっという間の25年間でした」
─根っからの勝負師なんですね。では、その25年間の選手生活の中で思い出に残っているレースはありますか?
「レースっていう訳ではないですけど、S級S班を取れた08年はすごく思い出に残ってますね。最終的に賞金ランキングで逆転されてKEIRINグランプリには出られなかったですけど、そういう緊張感っていうのは味わいたくてもなかなか味わえるものではないと思うので、自分にとってはすごく大きな財産になっていますね」
─紫原選手の08年は本当に「大当たりの年」でしたからね。
「何がどうよくなって、あそこまでの成績を残せたのか、自分でも未だによく分からないんですけど(笑)、やっぱり、年明けの立川記念で完全優勝できたのが大きかったですね。もともと、勢いに乗りやすいタイプなんで、年明けていきなりの記念で優勝で、しかも完全優勝ですからね。勢いに乗るなっていうのがムリですよ(笑)。今でも初日にいいレースしたり、1着取ったりすると、気分良くなって、その開催を好成績で終わるっていうことが多いですからね。そういう意味では、あの立川記念は自分にとって大きな転機だったかもしれないですね。ちょうど、荒井(崇博)と4日間連係したんですけど、荒井も状態が良かった時期で、その荒井を4日間とも抜くことが出来たっていうので、大きな自信になりましたし、そうやって自信を持って走れたことが1年間の成績に繋がっていったんじゃないかなと思いますけど」
─逆に、そこまで良かっただけに、グランプリには出たかったのでは?
「それは、もちろんありますね。自分がグランプリ出場争いをしたことがあるっていうのを忘れてしまっているファンの方もいるかもしれないですけど(苦笑)、自分はまだまだ諦めていないですし、もう1度あれくらいの高いステージで戦いたいなって思っているんですよ。衰えとかっていうのも全く感じていないですし」
─それこそ、初タイトルもまだまだ目標の1つだということですね。
「やっぱり、競輪選手として走る以上はそれ(タイトル)を目指してやってますから、チャンスがあれば狙っていきたいなとは思いますよね。ただ、昨年末に落車してケガをしてしまったことで、今度のダービーも走れなかったりするので、まずは、GIの舞台に戻るっていうのが当面の目標ですね。そこから一歩一歩着実に段階を踏んでいって、来年あたりにタイトル争いに加わる様になれればいいかなとは思っているんですけど」
─GIの最年長優勝記録の更新、期待しています。
「昨年はケガをしてしまったり、悔しい思いをした1年でもあったので、その悔しさを晴らせる様な走りが出来ればいいですね。同期の神山さんなんかは、この間の全日本選抜で決勝に乗ったりとまだまだ元気なので、自分も負けてられないですから。いつか、GIの決勝で同期対決を実現できる様に頑張りますよ!」
─それでは、最後にファンの方へのメッセージをお願いします。
「この間、GI連続出場15回で表彰していただいて、『平成24年優秀選手表彰式』に出席させてもらったんですけど、そこでファンの方と触れ合う機会があって、『まだまだ老け込む様な年齢じゃないよ』って言ってもらったりもしたので、必死に頑張って応援してくれるファンの方がいる限り、その期待に応えていきたいですね。そして、いつか、『GI連続○回出場』じゃなくて、ちゃんとした賞をもらって、その『優秀選手表彰式』に参加させて貰える様に頑張っていきたいと思いますので、温かい応援よろしくお願いします」