4月更新以来となる闘将列伝ですが、今回は栃木の中村淳選手です。グレード戦線ではなかなか目立った成績を残せていませんが、4回転を超える大ギアを駆使した鋭い差し脚は大きな魅力。40歳を超えた現在もS級の上位戦線で活躍を続ける「闘将」です。そんな中村選手は「元祖闘将」とも言える伊藤公人選手とは練習仲間。今回は一緒に練習する様になったいきさつについても話してくれていますので、最後までお楽しみ下さい。
─まずは、競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。
「競輪選手になりたいなって思い始めたのは中学3年生くらいだったと思います。もともと父親が競輪ファンで、小さい頃から競輪場に遊びに連れていってもらっていたんですけど、自転車を使ってるということで身近に感じる部分もあったし、やってみようかなって。それで、競輪選手になるために高校は作新学院に進学して。当然自転車部に入って、そのまま競輪選手になったっていう感じですかね」
─競輪学校には69期での入学となりましたが、69期は精鋭揃いで有名な期でもありました。
「そうですね(笑)。なかでも稲村(成浩)の存在は際立っていましたよね。僕に限らず、他の同期もそうだったと思いますけど、世界自転車競技大会(タンデムスプリント)で銀メダルを獲得して鳴り物入りというか、期待されて競輪学校に入ってきた様なものでしたからね。ライバルっていうところまではいかないけど、どこかに負けたくないなっていう気持ちは持っていましたね」
─そんな稲村選手の他にも後のグレード戦線で活躍する金子真也選手、齊藤努選手、澤田義和選手たちとしのぎを削ってデビューされたのが92年の4月ですから、選手生活22年目に突入しているんですよね。
「もう20年以上が経ちましたかぁ(笑)。まあ、この年齢(41歳)くらいまでは選手でいるかなっていうのはデビュー当時から思ってましたけど、それもS級の上位でっていうところまでは想像していなかったので、それは嬉しい誤算ですね。言い方は悪いかもしれないですけど、40歳を過ぎた頃にはA級辺りで細々と選手を続けているんだろうなって感じだったので(笑)」
─では、ここまで長くS級上位をキープし続けることが出来た秘訣とは?
「コツコツと競輪に対して真剣に取り組んできたつもりなので、そこですかね。練習は手を抜かずにやってきましたし。年齢を重ねてくると体力的にキツくなってくるし、ここ数年は特にしんどい部分はありますよ。ただ神山(雄一郎)さんにしてもそうですけど、今はベテランになってもまだまだ頑張ってますから。神山さんは45歳ですけど、全日本選抜(当時44歳)やこの間の共同通信社杯で決勝に乗ってるじゃないですか。そういう姿を近くで見習うことが出来たっていう部分で、すごく環境的に恵まれていると思いますし、あとはやっぱり練習仲間でもある伊藤公人(埼玉・40期)さんの存在が大きいかな。S級1班の最高齢記録を作っちゃう様な方ですから」
─伊藤選手とは所属県が違いますが、どういった経緯で一緒に練習する様になったんですか?
「たまたま開催が一緒になって話すことがあって、競りを教えてもらいにいったのが最初ですね。それが28歳の頃だったんですけど、今でもちょくちょく一緒に練習させてもらったりして、けっこうお世話になっているので12~13年のお付き合いになりますね。そういう部分では、神山さんよりも伊藤さんの存在の方が僕にとっては大きかったかもしれないです」
─身近で見ている中村選手が思う、伊藤選手の闘志を支えているものは何でしょうか?
「とにかく、競輪に対して取り組む姿勢っていうのは素晴らしいですよ。脚力の衰えとかっていうのももちろんあると思うんですけど、そういう言い訳は一切せずに練習に取り組んでいますし、だからこそレースでも最後の最後まで諦めないですからね。そういう真摯な姿勢っていうのは僕も見習っていきたいなと思います」
─では、現時点で21年の選手生活を振り返ってみて思い出に残っているレースを教えて下さい。
「初めて特別競輪の決勝に乗った時(00年・高松宮記念杯)ですかね。開催は6月だったと思うんですけど、ちょうどその年の3月の終わり頃から伊藤さんの所に行く様になったんですよ。そしたら3ヶ月で成果が出た訳ですからね。しかも、あの時は二次予選から決勝まで3連チャンで神山さんと一緒だったので、そういう意味でも思い出に残っていますね。ただ、その後は出場はするんだけど決勝には乗れずにここまで来てしまっているので、これからもまずはそこを目指して頑張っていきたいなと」
─これは意外だったんですが、記念優勝の経験もないんですよね。
「そうなんですよ(苦笑)。決勝にはちょこちょこ乗っているんですけどなかなか縁が無くて…。決勝になると展開に恵まれなかったりして勝ち切れないパターンが多いんですよね。まあ、厳しいかもしれないですけど、引退するまでに1回くらいは獲ってみたいですね」
─そして、中村選手といえば大ギアをイメージするファンの方も多いと思いますが、現在はいくつのギアをベースにしているんですか?
「4・25ですね。それよりも大きいのを試したりもしたんですけど、まだちょっと踏み切れる様な状態にはなっていないので。自力で捲ったりしなくちゃいけない様なメンバーの時はマックスギア(4・50)をかけたりもするんですけど、それだと前とのタイミングを計る追い込みではマッチしないので、基本的には4・25ですね」
─現在41歳で、4・25のギアを日常的に使うのは、体力的な面で不安もあるのでは?
「でも、回転の持続力の衰えを(大ギアが)カバーしている部分もありますからね。もちろん、肉体的には疲れますよ(苦笑)。だから、その分しっかりとケアする様にはしてますね。マッサージと整体を同じ日にすることもありますし(笑)。やっぱり、疲れを残して開催に参加するとまるっきり踏めなくなってしまうので、そういうことがない様に気を使ってます」
─今年は未だ1着がない(別府記念前時点)ですし、優勝からも遠ざかってしまっているので、そろそろ巻き返していきたいところですね。
「でも、この年齢になってくると、そういった部分での焦りみたいなものはないですよ。とにかく、今の自分に出来ることをしっかりやれば結果っていうのは自然と付いてくるものですから。だからもう具体的に何か目標を立ててやるっていうことはなくて、目標は『今の出来ることを一生懸命やる』ことですかね」
─それでは最後に今後の意気込みを含めて、ファンの方へのメッセージを。
「これはいつも言っていることでもあるんですけど、どんなグレードの開催であってもそれが勝ち上がりであれ負け戦であれ、そういったものは一切関係なく、とにかく一戦一戦全力で走ることが車券を買ってくれているファンの方への礼儀だと思っているので、これからも一生懸命頑張っていきますので、応援よろしくお願いします」