今回の闘将列伝は佐々木則幸選手です。04年の競輪祭で僅か「タイヤ差」でタイトルを逃した佐々木選手。当時の心境や現在のタイトルに懸ける思いを語ってくれました。そして、かつての積極先行から追い込みへの移行など、戦法チェンジの真っ最中といっても過言ではない佐々木選手が理想とする選手は…。最後までお楽しみ下さい。
─まずは、競輪選手を目指したきっかけを教えて下さい。
「いとこに佐々木周(27期・引退)さんという方がいて、中学生くらいの頃から『競輪選手』という職業があるのは知っていたんです。ただ、僕はずっとサッカーをプレーしていて、当時は競輪選手になろうという考えはありませんでした。だけど、僕には2歳上の兄貴がいまして、その兄貴が高校卒業と同時に競輪学校を受験したんですよ。それで自分の中に心境の変化が出てきました。周さんはけっこういい額の賞金を貰っているみたいでしたし、兄貴がやるんなら、自分も受けてみようかなっていうのがきっかけでしたね。でも不思議なもんで、結局兄貴は合格できず、僕だけが競輪選手になったんですけど」
―79期として、97年4月に小倉競輪場でデビューした佐々木選手は、もう選手生活17年目に突入していますね。
「そうですね。早かった様な気もしますけど、デビュー当初はけっこう苦労しました。当時は3層制で、同期はどんどん特進していくけど、自分はB級も特進できずにいた。結局定期昇級でA級に上がりました。でも、あまり焦りみたいなものはなかったかな。自分は自分っていう感じでいたし、コツコツやっていけば何とかなるって気持ちがあった。それに、逆に考えれば、B級時代が長かったからこそ、そこでしっかりとした基礎や土台を作ることができたからこそ今があると思いますし」
―その結果、昇級後はS級の位置に定着し、見事トップ選手の仲間入りを果たしました。
「デビュー当初はここまで長くS級上位でやれるとは正直思っていませんでした。そんな僕が今でも上位で戦えているのは、やっぱり周囲の支えがあったからこそですね。とくに野本順三(58期・引退)さんと博俊(56期)さんには今でもお世話になっています。順三さんはもう引退されましたが、バイク誘導をしてくださいますし、レースに関してのアドバイスやセッティング面なども見ていただいてます。そのような恵まれた環境にあるというのは僕にとって本当に大きな財産です」
―では、現時点でこれまでの選手生活振り返って、思い出のレースはありますか?
「それは…、やっぱり04年の競輪祭決勝ですよね。あの時はタイヤ差の2着でタイトルを逃しました。本当に悔しくて悔しくて。1週間から10日くらいは眠れなかったんじゃないかな。また、「タイヤ差」っていうのがね。これが、1車身とか離れていれば諦めもつくんでしょうけど、ほんのあと数センチで負けたっていうのが…。あの時だけはオグ(小倉竜二)が乗り移ってあの「ハンドル投げ」があれば勝てていたのかなとか(笑)。でも、その悔しさがあるから、もう1回あの舞台(GI決勝)に立って、今度こそ1着を取ってやろうって思えるからこそ、今でも頑張れていると思うんですよ。仮に、あの時タイトルを獲ってしまっていたら、今はどうなっているか分からないですから。そういう意味では、悔しかったのはもちろんですけど、「意味があり、価値のある負け」だったんじゃないかなとは思いますね。もう一つ、嬉しい思い出でいえば記念初優勝が地元だったことですね。さすがにゴール直後は我慢したんですけど、表彰式で泣いてしまいました。とにかく、地元ファンのみなさんの声援が嬉しくて、感無量でした。もう1度あの最高の気持ちを味わいたいので、競輪祭決勝と地元記念優勝という「悔しい思い出と嬉しい思い出」が今の僕の原動力なんだと思います」
―まだまだ、タイトル奪取は諦めていないと。
「もちろん諦めてませんよ。ただ、その為にはまずは決勝に乗らないとね。競輪のレース形態が変わって、僕もギアで苦労しているんですけど、そこを何とかしていかないと先がないですからね。今は4・08のギアを使っていますが、それだともう小さいくらいになってるでしょ。だから、もう2枚くらいは上げたいなと思っているんだけど、そうなる身体のケアもしっかりやらないといけないし総力戦になりますよね。でも、応援してくれるファンのみなさんの為にも、自分の為にも諦めずにタイトルを目指していきたいですね」
―ここ最近は四国勢が停滞気味で、佐々木選手が中心となって盛り上げていかないといけないですね。
「そうですね。なかなか若手が育ってこない現状はありますね。そんな中でも原田研太朗(徳島・98期)っていうイキのいい若手が出てきたし、大西祐(香川・91期)も最近は調子がいいみたいですからね。そんな若手を育てつつ、自分自身が四国の起爆剤になれればベストなんですがね」
―そういった中で、佐々木選手自身の戦法にも変化が出てきている様ですね。
「歳を重ねてきて、戦法を変える時期というのもあるし、自力ではさすがに厳しくなってきましたから。でも、タテ脚だけは残していきたいですし、理想でいうと、後閑信一さんのようなスタイルですかね。目標がいればマーク選手として前をしっかり援護し、目標がいなければ積極的に自力を出していくような組み立てでやっていきたいなとは思っています。ただ、マーク選手としてはまだまだで、技術が全然追いついていない状況です。今は人の後ろに付いた時は一戦一戦を大事に走り、しっかりと勉強しています」
―最後にオールラウンドプレーヤー、佐々木選手の活躍を期待しているファンのみなさんにメッセージをお願いします。
「ここ最近はFIでしか優勝していませんが、いつか『G』のつくレースで優勝できる様にこれからも一生懸命頑張っていきます。そして、Gの後の数字がIIIからII、IIからIっていう感じでどんどん少なくなって、ファンのみなさん方と一緒に最高の思いをしたいと思っています。これからも温かい応援をよろしくお願いします」