また必ずGIの舞台に戻っていいレースをお見せします
市田佳寿浩の登場となった今月の闘将列伝。「不死鳥」の愛称が示す通り、選手生命すら脅かしかねない怪我からの復活を幾度となくみせ、2010年には悲願の初タイトルを獲得した市田選手。しかし、今年3月に、骨盤骨折により約半年の欠場。現在は来年の復活に向けて練習に励んでいる日々とのこと。「不死鳥の羽ばたき」がファンを魅了する、その日がやってくるのを期待しましょう!
─まずは、競輪選手を目指したきっかけから教えてください。
「最初は競輪選手っていう職業があることはまったく知らなかったんですけど、高校に入学してたまたま入った部活が自転車部だったんですよ。そこで初めて競輪っていうものを知ったんですけど、その時に1番魅力を感じたのが『高収入』でしたね。自転車を漕いでお金を貰えるのであればということで、2年生くらいの時から競輪選手を目指す様になったんですよね。だから今思うと、(競輪との出会いは)偶然みたいなもので、運命めいたものがあったのかなと思いますね」
─そして、95年にデビューされてから、現在までで18年の選手生活を送ってきています。現時点でこの18年を振り返ってみて、いかがですか?
「そうですね…まあ、色々とあったんですけど、あっという間だったかなというのが正直なところではありますね」
─その18年の中で思い出に残っているレースはありますか?
「それはやっぱり、2010年の寬仁親王牌(前橋)になりますよね。それまでGIIは2回獲ってます(06年サマーナイトF&10年西王座戦)けど、GIタイトルっていうのはまだで、欲しくてしょうがなかったものでもあったので、それがやっと獲れたから喜びもひとしおでしたね。そこ(初タイトル)に辿り着くまでに色々とアクシデントもありましたし、自分の中でも『獲れるのかな?』って思ったりしていた時期もあった中での初タイトルだったので、長かったなと思いますね」
─「アクシデント」という言葉がありましたけど、市田選手というとケガとの戦いというイメージを持っている方も多いと思います。実際、今年も3月のいわき平記念で落車、骨盤骨折により半年近くの長期欠場を余儀なくされていますが、今回に限らず長期欠場している間は、どの様にしてメンタルを繋ぎとめているんですか?
「その時のケガの具合・程度にもよりますけど、とくに今回の場合は最初は競輪のことはまったく考えずに、まずは体をしっかり直すということに100%の意識を持っていきましたね。もちろん、走れないから経済的な面での不安とかっていうのもあるんですけど、そこはなるべく考えない様にして、というか体の状態をしっかり戻さないと、復帰したところで成績を残せなければ意味がないですから、とにかくそこ(体の状態を戻すこと)に集中してやってました」
─そうやってケガの度に復活するところから、ファンの間では「不死鳥」と呼ばれていますが、その愛称についてご本人はどう思っていますか?
「ファンの方やマスコミ・関係者の方が僕のことをそういう風に呼んでくれることは、もちろん嬉しいですよ。また、そう呼ばれることでケガをする度にしっかり戻さないといけないなっていう自覚も出てくるんですけど、ただ、何度もケガをすること自体があまり良くないことですからね(苦笑)。調子を落として、そこから何度も復活するから『不死鳥』という風に呼ばれている訳ではなくて、僕の場合はケガからの復活でそう呼ばれているので、自分としては自分に対して『何をやってるのかな』って思う部分はありますね」
─今回も今までと同じ様に復活に期待しているファンの方は大勢いると思いますが、現状はどうなんでしょうか?
「ここ3ヶ月くらい自転車に乗りだして、若干疲労が溜まりだしてきている時期ではあるんですけど、今までの様な結果を求めるにはちょっと厳しいかなっていうところではありますね。ただ、練習は毎日一生懸命やっていますので、ちょっとずつではありますけど、前進はしていると思います。ファンの方からすれば『何やってるんだ』って思う様なレースもあるかもしれないですけど、良くはなってきていますね」
─では、来年からが真の巻き返しということになりそうですね。
「そうですね。ただ、前期はS級2班なので、ビッグレースなど上位で戦える様になるのは夏くらいからかなと踏んでいるんですけどね」
─現在は脇本雄太選手も目立った結果を残せていない状況ではあるので、また2人で福井を盛り上げていかないといけないですからね。
「また必ずGIの舞台に戻っていいレースをお見せできる様に全力を尽くしていきます。その気持ちだけは強くもっていますので、これからも温かい応援をよろしくお願いします」