2014年最初の闘将列伝を飾るのは山田裕仁選手。11月に開催された競輪祭では25年連続出場という快挙を達成した山田選手。そこで今回は25年間もの間トップを走り続けてきた秘訣を聞きました。そこにはあのライバルたちの存在が強く影響していた様です。そして、もちろん、今年の抱負もインタビュー。山田選手はどんな思いを胸に2014年を戦っていくのでしょうか?
─先日の競輪祭では、25年連続出場となりました。
「25年の中でも出場資格の部分で色々と変更があった中で、連続出場を続けてこられたっていうのは、良かったと思いますね。ましてや、競輪祭は記念で決勝3着以内に入った選手に優先的に出場権が与えられる大会ですから、それに出続けられたっていうことはそれだけ安定した成績をずっと残してきたっていうことなので、そこは褒めてあげてもいいんじゃないかなって思います」
─同一GIで25年連続出場ということは、それだけの年数をトップで活躍してきたことの証拠だと思いますが、コツ・秘訣は何なんでしょうか?
「そんなものがあったら僕が教えてもらいたいくらいですよ(笑)。ただ、自分の場合は同世代に吉岡(稔真)君や神山(雄一郎)君がいて、彼らには素質がありましたから、それに勝つにはそれ以上の努力しかないと思ってました。 それだけの練習量をこなして自信を付けていったんですよね。とくに、僕の場合は適性試験出身だったので、(練習を)やらないとついていけないっていうのもありましたからね。それに、競輪学校を卒業した時の在校順位が85位でしたから(苦笑)、自分の中で危機感を持って卒業できたっていうのも良かったかもしれないですけど。まあ、何事も順調にはいかなかったですからね。ある程度、壁にぶつかりながらも上がってこれたっていうところに、長くやってこれた秘訣があるのかなと。僕は特別競輪の決勝に乗るまでに時間も掛かったし、まして、タイトル獲るまでにはさらに時間が掛かっている訳ですけど、今振り返るとそうやって1つ1つのことをクリアする為に努力してきたことが25年という数字にも繋がっていったんじゃないかなと思います」
─山田選手はGI出場が決まれば、そこに照準を合わせる調整をしてきたんですか?
「もちろん、それは選手生活の後半になってからですね。若い頃はそんなことをする余裕もなく、日々の練習をがむしゃらにこなしていくだけで、ある程度の経験を積んでからはそういう(GIに照準を合わせる)イメージで練習メニューを組んだりしてきましたよね」
─この25年の競輪祭の中で思い出に残っている大会はありますか?
「競輪祭ですか…、あまりいい思い出はないんですよね(笑)。優勝している(02年&03年)ので当然そこはいい思い出として残っているんですけど、決勝で落車したり苦い思い出もあるので、そういう思い出の方がどちらかといえば強く残ってますね。失格したりもしましたからねぇ…(苦笑)。だいたいの選手がそうだと思うんですけど、『思い出は何ですか』って聞かれた時にパッと思いつくのは苦い思い出なんじゃないかなと思いますよ。そっちの方が強烈に残ってたりするもんですから」
─なるほど(苦笑)。競輪祭は現在のGIの中では唯一の固定場開催となっていますが、山田選手にとって小倉競輪場はどんな競輪場ですか?
「僕は小倉がドームになる前から走っているんですけど(苦笑)、ドームになって走りやすくなりましたよね。僕は世界選にも行ったりしたので、ああいう室内の高速バンクは好きなんですよ。なので、どちらかというと得意なバンクの1つではありますよね。今は大ギアブームの関係で一概には言えないんですけど、僕はスピードレースが好きだったんで展開が早くなればなるほどいいなって思うタイプだったんで、小倉は走りやすいイメージがありますね。それに、タイトルを獲らせてもらったバンクでもありますから、『苦手なバンクです』なんて言ったら失礼ですからね(笑)」
─その競輪祭を獲った02年、03年はそれだけ状態も良かったと。
「そうですね。選手生活の中でもあの辺りがピークだったんじゃないかな。全く同じタイミングでダービーも連覇していますしね。とくにその時は04年のオリンピック出場っていう明確な目標があって、そこに向けて体を作っていた時期でもあったので、必然的に結果も良くなっていったっていうことだと思います」
─ただ、ここ数年はなかなか結果を残せていないですが、ファンの方は30回、40回と1回でも多く連続出場を続けていって欲しいと思っているはずです。
「どうなんですかねぇ(笑)。ただ僕個人の意見としては、今は深谷(知広)とか新田(祐大)とか若い世代が出てきたので、彼らに盛り上げていってもらって新しいファン層を取り込んでいってもらいたいなっていうのが正直なところかな。当然、今の競輪界を支えているのはずっと昔から応援し続けてくれているファンの方たちであることは間違いないんですけど、やっぱり新しいファンを取り込んでいかないとますます厳しくなっていきますから、そういう意味では深谷・新田にさらにあと1人加わってもらって新3本柱じゃないですけど、そういう感じで盛り上げていってもらいたいなと」
─かつての吉岡・山田・神山の3本柱に変わる存在の出現を望むということですね。その若い世代にかつての3本柱の2人である山田選手や神山選手が絡んでくるとさらに魅力あるレースが繰り広げられそうですね! そんな中、山田選手自身、2014年の目標として掲げていることは何かありますか?
「個人的には地元地区の名古屋でダービーが開催されるので頑張ろうかなと思っていますけど、頑張るといっても現状では優勝を狙ってとかそういう意味の『頑張る』っていうことではなく、まずは深谷に付いていければいいかなっていう感じの『頑張る』ですけどね(笑)」
─名古屋に照準を合わせていく中で、ここ最近の調子は?
「肋骨を骨折した時に調子を崩したんですけど、それでも無理して走って落車して、それでダメ押しでオールスターでの落車・失格をしてしまったじゃないですか(苦笑)、それで点数も落ちてしまったことで、自分のレースがやりにくくなってしまったっていうのはありました。だから、その辺りからは『もう失格できないな』って思いながら走るし、そうなると、レース内容もひどくなるので、悪循環というか、空回りの連続でしたよね。ただ、普段の練習の感じは全く悪くないですし、1月になって期が変わるから、ある程度のびのびと走れるんじゃないかと。そうすれば、結果も自然と付いてきてくれると思いますけどね」
─では、最後にファンの方へのメッセージをお願いします。
「競輪界がファンの方にとって魅力ある業界になっていって欲しいと思っているので、その為の努力はしていきたいと思いますし、選手としてもしっかりと練習をこなして期待に応えられるレースをしていきますので、これからも応援のほどよろしくお願いします」