インタビュー

 162cmと競輪選手としては決して恵まれた体格とは言えないながらも、持ち前の気力の強さと鋭い差し脚でトップ選手にまで昇りつめた合志選手。かつては高校球児として甲子園を沸かせながらも、野球の道を諦め競輪へと転向した経緯、追い込みへの戦法チェンジを図ったその訳、そして、大ギア化に苦しみながらも完全復活への道を模索する現在と、内容盛りだくさんのインタビューをどうぞ!
─まずは、選手を目指したきっかけから教えて下さい。
「高校までずっと野球をやっていて(甲子園出場経験あり)、同級生にはドラフトで指名されそうな選手が何人もいた中で、自分もプロ野球選手になりたいっていう気持ちはあったんですけど、結局、僕はドラフトで指名されなかったんですね。そのまま、大学・社会人で野球を続けていこうかとも思ったんですけど、なかなか進学・就職が上手いこと決まらなかったので、それなら違うプロスポーツ選手を目指してみようと。そこで、父親に勧められたのが競輪だったんです。だけど、高校(熊本工業高校)からすごく近いところに競輪場があったんですけど、それまでは競輪っていうものは全く知らなくて(笑)。そんな中で、たまたま高校3年生の秋に熊本でオールスターがあったんですよね。それを観にいったんです。それまでいわゆる『ママチャリ』しか知らなかった自分にとっては、スピードと迫力にすごく魅力を感じて。何より、オールスターっていうことで賞金も高かったですから、挑戦してみようかなと。それに、それまでやっていた野球は自分が活躍しなくても、他のチームメイトが活躍すれば試合に勝つ、『団体競技』でしたけど、競輪はラインこそ組みますけど、ほぼ『個人競技』じゃないですか。そういう世界で自分を試してみたいっていうのも競輪挑戦を決めた理由でもありましたね」
─では、高校3年生から自転車に乗り始めたということなんですね。
「いや、3年生の秋にあった競輪学校の試験には間に合わなかったので、本格的に乗り始めたのは卒業後の4月くらいでしたね」
─その後、81期としてデビューしたのが98年ですから、選手生活はもう15年を超えているんですよね。デビュー当時は、こうして長くトップ選手として活躍する自分の姿を想像していましたか?
「そこまでの自信っていうのはなかったですけど、『やってやろう!』っていう気持ちは強かったですよね」
─身長が162cmと、体格的にはあまり恵まれていない中で活躍し続けることはそんなに簡単なことではないと思いますが、何か(活躍の)秘訣は何なんでしょうか?
「秘訣ですか…、少しでも上のクラスで走りたい、他の誰にも負けたくないっていう気持ちですかね。それだけだと思います。他の人がどれくらいの練習をこなしているか分からないですけど、自分はそこまで人一倍練習をしてるっていう訳でもないので、やっぱり気持ちなんじゃないですかね。まあ、体格の部分で他の人よりハンデがあるからこそ、そういう風に気持ちを強く持てたんだろうし、だからこそ、15年以上も上位で走れているのかなと」
─この15年は合志選手にとってどんな時間でしたか?
「もう、アッという間でしたね。20代の頃はそこまで時間の流れを感じたこともなかったんですけど、30歳を過ぎてからは本当に早くて。もちろん、それだけ充実した競輪人生を送れているっていうことなんだと思います。今まで落車でケガをしたりとか色々ありましたけど(苦笑)。自分は上位でやっていく為には、自力では厳しいだろうなっていうのを感じたので、追い込みとしてやっていこうと決めて。ただ、追い込みになりたての頃は当然、位置もないですから、多少強引な動きをしたりとかもして、その代償としてけっこう落車しちゃって(苦笑)。まあ、それもひとつの勉強で、今の自分にとって大きな財産になっていますし、落車でのケガは競輪選手、とくに追い込み選手にとってつきものみたいなところがありますから、そこも得意の気力でカバーしてきたっていう感じですね」
─追い込みへの転向はわりと早かったですよね。
「S級に上がって1年くらいでしたからね。ただ、自分の中でそこまで早く追い込みになるとは思ってなかったんですよ。やっぱり、自力がカッコいいと思っていたので、出来るところまではそれ(自力)でやっていこうと思っていたんですけど、いざ、S級に上がってみたら、上位の自力選手が強すぎちゃったんでね(笑)。でも、今振り返ってみると、早いうちに追い込みへの転向を決断できたのは、自分にとって良かったなと思うんですよ。1番いいタイミングで戦法チェンジすることができたと思うので、あの決断が1番の転機だったんじゃないかなと」
─そうして、追い込み選手として技術と脚力を磨いた合志選手が初の栄冠を掴んだのが、06年の全日本選抜競輪(いわき平)でした。
「あのレースは、自分の中でも1番いい思い出として残っていますね。高校3年生の時に野球を諦めて競輪の道に進んだことが間違いじゃなかったんだと証明できたというか。当時の同級生と会うと、『(競輪選手として)活躍するのは厳しいんじゃないか』と(当時は)思ってたなんて言われたりもしますけどね(笑)」
─その後は、まだ2つめのタイトルに手が届いていないですが、あの味を知っているだけに、「もう1度」っていう思いは、当然持っていますよね。
「それは、もちろんです。ただ、あの頃と大ギア化でレースそのものが変わっちゃったので、厳しい戦いが続いてはいるんですけどね…。ここ最近は、ただの大ギアじゃなくて、マックスギアに近いところまできちゃってるじゃないですか。大ギアだと体格のハンデがモロに出てしまうので、さらに、自分の持ち味でもある俊敏な立ち回りっていうのがかなりしづらいですからね。それを出来る様にする為に色々と試行錯誤はしているんですけど、すごく時間が掛かってしまっていて、まだもうちょっと時間が掛かっちゃうかなっていうのが正直なところなんですよね。でも、必ずどこかに答えはあるはずだし、それを信じて頑張っていくしかないかなと」
─調子自体はどうなんでしょうか?
「それも、正直、あまり良いとはいえないというか、『悪い』っていった方がいい様な状況で…。ギアを踏む為に色んなことをやって、その反動で疲れが溜まってしまって、その中で練習をやるから、自分の思う様な成果を挙げられずっていう感じで。なので、これからはもうちょっと体のケアに力を入れつつ、完全復活を目指して頑張っていきたいですね」
─『完全復活』に向けて、具体的な今年の目標を教えて下さい。
「昨年はGIの決勝に乗れなかったんですよ。準決勝まではけっこういっていたんですけど、いつも惜しいところで優出を逃していたので、まずはそのカベをぶち破りたいですね。そうすれば、いい流れがくるかもしれないですし。なので、ダービーから勝負かけていきたいなと。もう少し時間は掛かってしまうかもしれないですけど、必ず『完全復活』してみせますので、応援よろしくお願いします」