インタビュー

今回の闘将列伝は大阪の前田拓也選手です。シャープな差し脚を武器に、近畿を代表する追い込み型としてビッグレース戦線で息の長い活躍を見せています。その精悍なルックスでも人気を集める前田選手は、昨年40歳、デビューからは22年目を迎えました。近況はやや劣勢ですが、再び大舞台での活躍を目指して鍛錬を続けています。ベテランの領域に入った今、ここまでの選手生活や今後の目標などを聞きました。
─最初に、前田選手が競輪選手を目指したきっかけを教えて下さい。
「中学3年生のときに、テレビを見ていたら、たまたまつけたチャンネルでダービーの決勝をやっていたんです。すごいスピードでまくっていくのを見て、直感で『これになろう!』と思いましたね。あと表彰式での賞金ボードもすごい額だったので、自分の力次第で稼げることに魅力を感じました。でもどうしたら(選手に)なれるか分からなかったので、すぐに本屋に行って、いろいろな高校の本を見て、自転車部のある学校を探しました。近所にその学校があったので入って、そこから選手になった感じです」
―71期として1993年にデビュー、今年で22年目を迎えました。
「そうですね。おかげさまで、自分ではまあまあで来られたかなと思っています。振り返ったら良いときもあったし、20年はあっという間でしたね」
―思い出に残っているレースはありますか?
「自信を持てたのは、平塚で記念初優勝(49周年後節・1999年)したときですね。頑張れば、記念も獲れるんだなと手応えを感じました。その頃から練習でも掴みだしていたので、あの優勝から、その後もうまく記念が獲れていきましたね」
―そこからは特別競輪でも決勝に幾度となく進出するなど、活躍が続きました。
「当時は脚もどんどん付いていったと思いますし、それと同時に自信もついていったので、GIでも勝ちに行く気持ちで走れていましたね。GIを獲るまではいっていませんが、良い走りができていたかなと思います」
―現在はS級2班ですが、来期からは再びS級1班に返り咲きます。ここまでS級で長く活躍できている秘訣は何ですか?
「どうしても良いときがあれば、悪いときもあるので。悪いときは、課題なり反省点なりをもちろん探ることと、気持ちの切り替えで引きずらないことですね。なるべくプラスに考えていく、自分はそういう意識でやってきました。あとはオンオフをきっちりとすること。トレーニングをするときは集中して、リラックスする休養期間もしっかりと取るように、メリハリをつけていました」
―オフのときは、どう過ごしているのですか?
「家でゴロゴロしたり(笑)、そのときの思い付きで買い物に行ったり、お酒を飲みに行くこともありますし、とにかくオフのときは自転車のことを忘れて、スイッチの切り替えを大事にしてきました。誇れる成績ではないですが、今でもS級に在籍できているのは、うまく切り替えて、気持ちをずっと張りつめたままにしておかずにいけたのが長続きした秘訣だと思いますね。オフといっても1日か2日で長く練習を休むわけではないし、その方が新鮮な気持ちで競走や練習に挑めるんです。当時はうまくできていましたが、今は成績が物足りないので、ちょっと昔よりは余裕がないかなとは思いますね」
―あと前田選手と言えば、かなり早い段階から「追い込み・マーク」としてのレーススタイルを貫いてきましたよね。若手のときから「マーク屋」の看板を掲げるにあたって、苦しかった時期もあったのでは?
「そうですね(笑)。自分は競輪学校にいたときから、追い込みでいきたいなというのがありましたし、自分の脚質的に先行は出来ないと思っていたので、A級のときもほとんど先行はしていませんでした。近畿には長く実力のある先輩のマーク選手が多かったので、番手を回るまでには苦労もありましたけど、自分の実力もついてきて、徐々に周りも認めてくれるようになっていきました。良い位置を回れるようになったときは、苦労をした分もあったので達成感がありましたね」
―追い込みとして活躍されて、ご自身の一番の武器はどこだと思いますか?
「一番良いときは、前の選手がどんな選手で、どこで仕掛けても絶対に離れない自信がありましたし、なおかつ、前の選手がまくりでも先行でも当時は捕える自信もありましたね。そこはお客さんに評価されていたと思いますし、後方におかれても諦めずにコースを探して着に入る走りもでき、それで結果も残せてこられたので自信は持っていました」
―昨年、年齢も40代に突入しました。近況は苦戦が続いている印象もありますが、どう捉えていますか?
「現状はすごくファンの方に申し訳ないなと常々感じています。車券の対象としたら、自分が買う立場なら、(車券にあまり絡めずに)今は買えない選手だなと思うので、申し訳ないなと思っています。歯がゆいですね」
―原因はどこに?
「大ギアになって、一気に僕はゼロになったような感じですね。レース形態も変わって、取り残されている状態です。負荷をかける大ギアのトレーニングをしていなくて、ずっと軽いギアでしか練習していなかったので、時代に乗り遅れた感がありました。それと若いときは調子の波が少なくて、自転車のセッティングも悩んだことが無く、理論的なことはあまり考えていなかったので、大ギア化になって今はセッティング面が悩みになっていますね」
―トップの自力型がギアをあげたことで、追い込み型としての影響は具体的にどれほどあったのですか?
「トップスピードに乗る位置が遅くなって、そこからまた加速していく感じなので、後ろはなかなか脚がたまらないんです。それに今のトップ選手は、さらに大きなギアをかけているし、それを踏み切っています。僕も今は4倍を踏んでいますが、それでもトップ選手とのギア差があるので、脚がたまらないんです。最低でも先行選手と一緒のギアで走ることが基本だと思うので、そうなると『踏めない=不利』ですよね。でも、自分より年上の人でも、まだまだトップですごく活躍している人はいるので、そこは辞めるまでは諦めずに最後までいくつもりです」
―来年からは、そのギア倍数に新しく規制が入りますよね。
「未知ですが、自分にとってはかなりプラスになると思っています。今は無理やり4倍を踏んでいますが、来年からは3.93がマックスになるので、93は自分が好きなギアですし、そのギアを使って、また勝負ができるかなと楽しみにはしています。試行錯誤していますが、今は悪い中でも、良い手応えも少なからずあるので、とにかく戻して結果を出したいですね。年齢もちょうど分かれ道というか40歳は気持ちもしんどくなる頃だと思うので、ここで踏ん張ればまた大きい舞台で戦えるなと言い聞かせています。自分で自分のことを信用して、頑張っているところです」
―では、現在設定している目標はありますか?
「昔はGIにも当たり前に毎年全部出場していたのに、ちょっと出場機会が少なくなっているので、もう一度、GIの舞台を全部走れることを目標でやっています。自分でもさびしいですし、テレビで眺めるよりも、そこで走らないとね。あの緊張感は楽しいですし、選手になったからには、できるだけその舞台で戦えるように頑張りたいです」
―ファンもその姿を期待していると思います。最後にメッセージをお願いします。
「今は良い位置でも取りこぼしたり、本命印がついても取りこぼしたり、申し訳ない気持ちで一杯ですけど、負けても声援してくれるファンが全国にいてくれています。苦しいときにしていただく応援はすごく励みになるので、その人たちに恩返ししたいし、自分でもこのままでは終われない、終わりたくないという気持ちです。とにかく一生懸命精進して、もう一度、大きい舞台で戦える選手に戻りたいと思うので、あたたかく見守ってほしいなと思います」