インタビュー

今回の闘将列伝は茨城の大ベテラン・戸邉英雄選手をピックアップします。デビューは1983年の4月、現在51歳。デビュー後まもなくしてS級に昇格すると、02年にはグランプリに出場するなど特別競輪を中心にS級で活躍してきました。S級在籍年数は、驚異の30年に到達。残念ながら来期はA級降格となってしまいますが、51歳の今なお衰え知らずの闘心で今後もガッツ溢れるレースを見せてくれることでしょう。
「悩みごとを減らしてから競走に挑め」
─まず、戸邉選手が競輪選手を目指そうとしたきっかけから教えてください。
「父(弘・8期・引退)が選手だったんですよ。その関係の流れで、この道を選んだ感じですね。それと父の弟(純一・24期・引退)も選手だったんですよ。その両方を見ていたというのはありますね」
―お二人の姿を見ていて、憧れがずっとあったのですか?
「それは、あんまりなかったんですよ。でも小さいころから、『(選手に)なるんだろ、なるんだろ』みたいな話をいろいろな人から言われてきたのはありましたけどね(笑)。そのときは、まだそんなにピンとはきていませんでしたが、高校に入るときくらいから『やってみようかな』とは思うようになりました」
―練習面は大丈夫でしたか?
「高校に入ってからサッカーをずっとやっていたので、まったく自転車には乗っていなかったんですよ。サッカーが終わってから乗り出した感じだったので、何もわからない状態からだったし、練習はけっこうきつかったですね」
―51回生として競輪学校に入学。1983年にデビューして、今年で31年目に突入しましたが、ここまでを振り返ると?
「31年目になりますが、ここまで早くてあっという間でしたね」
―デビューして半年でS級に特別昇級すると、今年(2014年)の前期まで30年間の長きにわたりS級に在籍。偉大な記録だと思います。

先日の全プロ記念競輪開催時(取手)にて
S級在籍30年の表彰を受ける
「自分では意識もなく、何となく来てしまった感じですね。30年はひとえにいうと長いんですけど、何も考えずにやってきたから、かえってできた記録なのかなとは思います。僕はあまり考えないタイプなんですよ。それが良かったのかな。30年をいろいろ考えてやってきていたら、すごく長く感じたと思うし、その点では性格的には良かったのかなと思います(笑)。競走で負けた日も、そのときは『あぁ』と思いますが、持ち越さないし、帰ってまた練習すればいいと次の日にはケロッとしているんですよね」
―そこが長年活躍できる秘訣なのですね。
「そうですね。あと若い子にも聞かれるのですが、いつも答えることは『悩みごとをひとつでも減らして競走に臨め』ということです。悩みごとは、みんなにあるじゃないですか。人間だから、それは仕方ないです。その中から1つでも減らして、競走に参加しろよと。悩みごとが多いとやっぱりダメですよね。自転車でも、調整に悩んですごくいじる子がいますけど、僕は全然いじらないんです。1回組んだら、そのままずっと乗っている感じ。でも、もしかしたらいじらないということは、人一倍神経質なのかもしれないですよ。逆の意味では」
―長年のキャリアの中で、思い出に残っているレースはありますか?
「S級に特別昇級した岸和田のレースも嬉しくて思い出に残っていますが、僕にとっては静岡記念の優勝(43周年後節、96年2月)が印象深いですね。というのは、親父も静岡記念を1回だけ獲っているんですよ。小さいころ、家に賞状が一枚だけ飾ってあって、それが静岡記念優勝の賞状だったんです。選手になるまでは意識していなかったんですが、選手になってから、親父は静岡記念を獲っているんだと思って自分も獲りたいと思うようになりました。親父と同じレースを獲れたということで親父に並べたと思ったし、嬉しかったですね」
思い出のレース(戸邉英雄)の映像視聴は“こちら
―02年にはグランプリにも出場するなど、長らく特別競輪の常連として活躍されていました。
「そうですね。特別競輪の決勝戦にも何回か乗ったんですけど、てっぺんに立てなかったというのは、今思えば自分に厳しさが無かったのかなと感じますね。いつか獲れるんじゃないかなという雰囲気でやっていたので、絶対に獲るぞという気持ちが僕には欠けていたのかな」
「ずっと応援してくれるお客さんのためにも、頑張っていきます」
―ここまで30年にわたりS級を維持していましたが、残念ながら来期はA級戦となってしまいます…。
「また頑張ってみようかなという刺激になっていますよ。A級は30年ぶりですからね、メンバーも全然分からないんですよ。それに、自分がA級に落ちてどれだけ戦えるのか、ちょっと不安な面もあります。脚力的に落ちているから、A級に落ちるわけですからね。でも、もう一回S級に戻るという気持ちで頑張ってみようと思います」
―同世代の選手も少なくなってきていますが、まだまだ頑張っている同期や同世代の方々の走りは刺激になりますか?
「なりますね。今も同期だと三重の萩原操がS級1班で頑張っていますよね。操とは、(競輪学校時代に)同期で同部屋だったんですよ。操は自転車部で国体優勝して鳴り物入りで入ってきたんです。僕は自転車経験も浅かったですが、操とは同部屋だったし、競輪学校のときからずーっとライバル心を燃やして抜いてやろうと思っていました。在校成績では、操は7位で、僕は8位。結局は抜けなかったんですけど、それを今でも引きずっているところはありますね(笑)」
―ともにベテラン選手になりましたが、今もファンの声援は大きいですよね。
「『おやじ、頑張れ!』とかそういう声も聞こえますが(笑)、お客さんの応援はありがたいですよ。もちろん力になりますね。最近はなかなか1着も取れないですが、その中でもお客さんはずっと応援してくれているので、頑張らなくちゃいけないですよね」
―そこが競輪の醍醐味でもありますよね。
「そうですね。勝っても負けても応援してもらえますからね。競輪の魅力は人間模様だと感じています。スポーツなんですけど、人間だからこそのラインだったり、信頼関係だったりしたものがあって、奥深いものがあると思いますね」
―最後にファンにメッセージをお願いします。
「さすがに勝てなくはなっていますが、少しでもファンの期待に応えられるように、連に絡めるように、これからも頑張っていきたいと思います」