今回の闘将列伝は、大分の大竹慎吾選手が登場です。今年7月に久しぶりとなるA級降格となってしまいましたが、8月の地元・別府を完全優勝すると、次の福井、そして富山をパーフェクトに制して9連勝。見事にS級特別昇級を最年長記録更新とともに達成しました。パワフルなレースでファンを魅了し続ける、その秘訣に迫ります。
「富山の決勝は脚が三角に回っていたので、まだまだ精神的に未熟ですよ(笑)」
-まずはS級特別昇級おめでとうございます。特昇場所となった9月富山FIを迎えたときの心境はいかがでしたか?
「最初の3連勝が地元の別府で、すごくプレッシャーを感じながらの優勝でした。ホッとして次の福井に行ったときは、別府よりはリラックスして3連勝できました。そこから次走(富山)まで日にちが開いていたので、富山の出場選手とメンバー構成を見て、練習内容を組み立てました。きっちり自分で計画を立てて練習していたので、あとは集中して走るだけかなという感じで臨んでいましたね」
-準決勝では目標不在の中、まくりでの1着が光りました。
「目標が無くなって、ここが一番の勝負所かなと思っていました。決勝は津村(洸次郎)君が乗ってきてくれるかなと思っていたので。それで冷静に、どのラインが先行するか、逆に自分は最悪どの位置にいてはいけないのかを考えたりもしていました。そうしたらうまく流れに乗れたので良かったですね」
-ここまでの競輪人生でも、さまざまなプレッシャーの中で走られてきたとは思いますが、特別昇級のかかったレースを前にしては?
「さすがに前日の夜は通常よりも心拍数が上がっていましたね。1着しかありませんからドキドキするのも当たり前かなと思いました。333バンクだから2周半からモガキあいになっても大丈夫なように700、800モガキを練習してきたので、それを考えたら、明日は700、800モガキ1本で済むな、みたいな感じでした(笑)。いろんな状況を踏まえて、富山は臨めていました。それでも打鐘、4コーナーと脚が三角に回ったのが自分でも分かったので(笑)、精神的にまだまだ未熟だなと思いましたね」
-49歳のS級特別昇級は、最年長記録の更新にもなりました。
「そうですね。前は三和(英樹・引退)君の39歳くらいでしたっけ。10年くらい越えましたね。自分もA級初戦の小倉(7月)が2着1着1着で、9連勝するには脚が足りないなというのがありましたので、そこでバックまくりに行ったときでも押し切れるくらいの脚が無いとダメだなと思って、練習に取り組んで、徐々に良くなっていきました。急には特昇できるとは思えなかったですよ」
-7月に久しぶりとなるA級降格となりましたが、影響はありましたか?
「今年5月くらいの方が精神的に不安定でしたね。でもそのあとに、高松宮記念杯と久留米記念で、中川誠一郎選手のうしろに付くことがあって、その時ダッシュ力が足りないなと自分の中で感じたんです。でも逆に、これに付いていけたら上でまだまだ戦えるなと思い、ダッシュ力強化を中心の練習に取り組みましたが、A級に降格してしまいました。来年(2015)の1月を見越した考えで臨んでいましたので、気持ち的には強いものがありましたね」
-富山の準決勝のように、まくりを打つシーンもかなり見られましたよね。
「そのくらいでないと、またS級に戻っても戦えないなというのがありました。人間はいつまでたっても、足りないところがあると思いますから」
「結局、自転車が好きなんです。研究することが面白いし、楽しいです」
-デビューは1985年。キャリア30年に達しますが、ここまでを振り返ると?
「あっという間でしたね。年齢ではなく、今どうすればいいかしか考えていないんですよ。それに30年のキャリアで、みんなに無いデータがあるので、このパターンのときはこういう感じだとか、どう対応したらいいかとか、有効に使えますよ」
-強さの秘訣は、どこにあるとご自身では考えていますか?
「30年経ったとき、最初の10年、次の10年、そして今の10年があって。最初の10年は20歳から30歳までで吉岡(稔真・引退)とかと走っていたので、タイトルを獲ろうとギラギラして走っていた時期で、その次の10年は結婚して、子どもが生まれました。そして今は子どもが15、16歳になって、自分が高校に入る前、競輪選手を目指した時代を思い出しています。あのときは選手になるのが夢だったので、今の自分は夢の中にいるんだから、今頑張らなかったら、15歳のときの自分に申し訳ないなと。今、子どもの成長とともに、自分の小さい頃を思い出して、モチベーションが高まっていますね。それに慌てて、先のことをしようとしても、うまくいかないと自分のバランスが崩れるので、自分がするべきことは何か、「今」に集中するようにしています。そうすることで一段ずつ上がっていけば、自然と結果が付いてくるので、目の前の一段をしっかり登っていく、そういう形を取っていますね」
-そうすると、しっかりとした下地ができることにも繋がりますね。
「そうなんです。基礎がしっかりしてきますから、あとは、いろいろなアクシデントがあったときに、どう自分が捉えて、どう転換していくか。周りの方々に助けられながら、励ましを受けながら自分は頑張れている、そんな感じですね」
-あと大竹選手と言えば、研究熱心なことでも知られていますよね。
「はい(笑)。結局、自転車が好きなんですよ。その延長線上に、競輪がありますので、研究することが面白いし、楽しいです。自転車は本当に奥が深いですよね。行き着くところが無いと思いますし、年々、パイプや形状も変わってきますし。ギアも当時は3.64だったのに、今では4回転オーバーですからね。それが来年から(制限が)3.92になって。そんなことを考えながら、今も新しいフレームが届いたばかりで、この形状ならどの筋肉に負担がかかるとか、いろいろ試しているところです。結局、昔から自分でやってみないと気が済まなかったんですよ(笑)。いっぱい失敗もありましたが30年間のデータとしては、他の人がやっていないこともやっているので、引き出しはいっぱいあると思います」
-また、自転車以外にも体の使い方などの研究も熱心にされていますよね。
「そうですね。骨の動きや、最近では4スタンス理論とかですね。(重心をかけるのに)つま先タイプ、かかとタイプ、その内側か、外側を使うのか大まかに4種類あって、それが分かると、自分のフォームや特性、やってはいけないトレーニングも分かるんです。そこを覚えていくと練習とレースのときの感覚がずれなくなるので、大きいですね」
-では再度S級に昇級した現在の目標を教えて下さい。
「今のままコツコツと積み上げていって、グレードレースで同県の後輩や九州の仲間たちと走って、お客様に喜んでもらえるレースがしたいですね」
-ファンの声援も、かなり大きくなっているのではないでしょうか。
「はい。富山の決勝も、地元のように暖かく声援してくださって。解説の木庭賢也さんにも、臨時的に特昇インタビューをしていただきました。自分が頑張れば、お客様、周りの人が喜んでくれるというのをひしひしと感じています。だから、練習でもがくのは全然きつくないです」
-最後に、今後の意気込みを含めてメッセージをお願いします。
「僕たち競輪選手は、ファンのお客様がいるからこそ成り立っているので、お客様が喜んでくれるレースをこれからもやっていきたいと思っています。そのためにも日々、研究と練習、努力を積み重ねて頑張っていきたいと思います」