インタビュー

 1月6日、立川競輪開設63周年記念の3日目・準決勝で1着。この1勝で、後閑信一選手が通算500勝を達成しました。デビューは1990年4月、プロ生活25年での偉業達成です。ファンの声援を背に、衰え知らずの闘志で熱いレースをバンクに刻み続ける後閑選手。500勝達成の心境と今後のさらなる意気込みを聞きました。
500勝達成はお客さんの声援があってこそだと思います
-まずは立川記念・準決勝での500勝達成おめでとうございます。率直な感想からお願いします。
「やっと辿りついたかと、嬉しいのが正直なところですね」
-12月の松戸記念最終日にリーチがかかって、そこからは2着が多く、やや足踏み状態でした。
「振り返れば、それも必要だったのかな。冗談で『500勝まで遠いですね』と話はしていましたが、プレッシャーはなかったし、ただひとつひとつ自分の目標をクリアしていこうと思っていました。もちろん1着は目指していましたけど、目先で小さいレースして1着を取るよりも、ちゃんと力を出し切って勝てたほうが価値はあるので、いつも通りに走っていただけですね」
-立川は後閑選手にとって地元地区の記念開催でもあり、500勝達成のときはファンの歓声も大きかったですね。
「今までの出来では、村上(義弘)君を抜けるとは思っていなかったです。挑んでやろうという気持ちはありましたけど、あそこであれだけの伸び脚が出たのはお客さんの声援もあっただろうし、地元の気持ちもあっただろうし、自分の力だけではなかったなと思いました。でも、500勝は自分の中では通過点なんです。周囲は騒いでくれましたし、自分の中では『やったな』という気持ちもあるけど、神山(雄一郎)さんという偉大な先輩がいるので。自分と2歳しか違わないのに300勝も違うわけじゃないですか。それと比べると、自分はちっぽけだなという気持ちもあるし、だからこそ逆に神山さんという存在が自分を満足させずに、まだまだという気持ちにさせてくれています。神山さんのおかげで設定が高くなっているので500勝では満足できていませんが、喜ぶところは喜んで、達成できたのはお客さんの声援があってのことだし、自分に関わってきたすべてのことに感謝の気持ちはありますね」
-300勝から400勝までは7年かかりましたが、400勝から500勝は5年。スピードアップしています。
「自分もそれを見ていました。振り返れば30代が自分の中では一番きつかったのかなと。閃いたことを試してハイリスクのこともしてきましたけど、いろいろ試した結果でここまで来られたので、遠回りもしたと思いますけど、無駄もなかったなと思います。すべてがあったから、今があるし、自分が判断してやってきたことにタラレバはない。それが自分の道だと思います」
-ファンも、そんな後閑選手を分かっているからこその大声援なんでしょうね。

1月6日立川競輪場にて、500勝達成のポーズ。
「競輪は人生の縮図で、ファンにもいろいろな職業の方がいて、選手にもいろいろな人生があります。でもそれは、同じ経験だと思うんです。自分たちはそれをバンクの中で表現できているだけ。十人十色の人生がある中で、山あり谷ありでケガもして、でも諦めないで走っている。そのスタイルに共感してくれる人が力をもらってくれたり、応援してくれたりする。それが競輪の良いところだと思います。人生はどうしても辛いことの方が多いとは思いますが、たまに良いことだってあるし、何度でも立ち上がる姿を見せたいという自分もそこにいて、だからこそ選手は強くなれるんだと思います。お客さんがいるからこそ、自分の生きる場所があるんです。昔から競輪を何十年もやっている方に『神山と後閑は今の時代もまだ走っているのか』とよく言われるようになりましたが(笑)、競輪は無差別級なので、自転車と体の使い方、技術で賄えるところも魅力で、そこが自分の中での原動力になっています。自分はいつまで表現できるか分からないですが、気力と体力が続く限りやっていくしかない。この道しかと思っているので、ずっと頑張りますよ」
今年は京王閣でダービー、そしてグランプリがある。勝負の年じゃないかなと思います
-500勝の中で思い出深いレースはありますか?
「一番身近だと500勝目ですね。ケガをして、生死をさまよった中で復帰して、この先大丈夫なのか思いながら一走一走、現場の中で脚や勝負度胸、レース勘をどんどん付け直していった先の500勝目だったし、あの展開で村上君のまくりに切り替えて差せましたから。その一個前だと地元(京王閣)のオールスターでタイトルを自力で獲れたことです。辿っていくと、その順番になりますかね」
-昨年は大ケガもありましたが、初のS級S班も経験されました。
「1月の立川でS班デビューをしましたが、初日に落車で横突起と肋骨を折って、そこからケガのはじまり。良くなったら落車しての繰り返しだった一年でした。でもS班の赤いレーサーパンツを履いている責任感を持って、結果に対しての不安は今までもあったんですけど、そこに怯えていても仕方ないぞと覚悟もできた年でした。やるしかないじゃないですか。これが仕事だから、負けたからといって欠場もしなかったし、最終日の選抜も走ったし、早いレースも走りました。赤いパンツであそこを走るのは、プライドもあって走りたくないかもしれないけど、そういうのも後輩たちに見せて、走りやすくしたかったんです。ちゃんと仕事を最後までする責任感もあるし、だからこそ勝たなくてはいけない。昨年もいろいろなことを経験したので、これから先は大概のことには驚かないし(笑)、この先もやっていけるだろうと自信になって、また挑む気持ちが出てきました。それもS班というものが選手にとって大きな目標だし、モチベーションがすごく高くなるものだからだと思います。自分がそうでしたが、S班、赤いレーサーパンツが選手を育ててくれると思うんです。だから、これからもS班制度というのはずっと続いてほしい、必要なものだと思っています」
-今年は日本選手権(ダービー)、そしてグランプリが京王閣で開催される「京王閣イヤー」です。
「そうなんですよね。立川は地元の責任感の中で、どうやって切り開いていこうかと思っていましたけど、脚が無いながらも立ち回って、決勝にも乗れたし、結果的に4日間確定板に乗れました。ギア規制もありましたが、俺には25年間やってきた引き出しがあるから対応できるかなという自分の中の光や希望を持って臨みました。ダービーに向けて、小さな自信はついたのかな」
-500勝達成の今、次の目標を教えてください。
「まず500勝できたので、600勝というものはありますけど、なぜ今この歳でも頑張っているかというと俺はタイトルが欲しいだけなんです。タイトルを諦めたときが、自分が選手を辞めるときなので。まして今年は京王閣でダービーがあるし、年末にはグランプリがある。ここが勝負の年なんじゃないかなと思うし、一発目を立川で走れたことで、ギアもセッティングもここを基本に考えらえるし、強い相手と戦ったことが土台になったと思います」
-昨年の苦しかった時期を乗り越え、話を聞いているだけでも「今年への楽しみ」が伝わってきます。
「そうですね。不安よりも楽しみが多いです。もし30代のときにS班だったら勝たなくちゃいけない気持ちで、重圧がすごく大変だったと思います。今は40も半ばですが、深谷(知広)君や脇本(雄太)君といった自分の娘とも同じくらいの年齢の選手と走って、逆に開き直りの気持ちがあります。若い選手が生きてきただけの年数を選手やってきた自信もあるし、経験もある。ぶち当たって、勝てばすごいと言われるし、負けてもよく頑張ったと言われる。これは逆に楽な年なんじゃないかなと思っています。良いことも悪いことも、いろいろ乗り越えてきたし、吹っ切れているから今は楽しみしかないですよ」
-これからも熱いレースを期待するファンは多いと思います。最後に読者にメッセージをお願いします。
「仕事は違えども、みんな同じ人生だと思うので、自分の乗り越えていく姿、自分の生きざまを見てください。応援してくれる人がいる限り、俺は頑張ります」