インタビュー

 2月26日の伊東FII最終日・A級特選で高谷雅彦選手が23人目(昭和58年4月以降)となる通算500勝を達成しました。ファンを熱くする自力戦はまだまだ健在で、現在は日本競輪選手会青森支部の支部長も務めている高谷選手。これからも競輪場内外で競輪界を盛り上げてくれそうです。
「前々に攻めていったからこその500勝だと思います」
-2月の伊東競輪・最終日(特選)で通算500勝達成、おめでとうございます。今、振り返って500勝という数字はいかがですか。
「ありがとうございます。(500勝は)嬉しいですよね(笑)。競輪学校時代もそんなに勝ち星があったわけではなかったので、ここまで積み上げられるとは思っていなかったですし、500勝を目指そうなんてことも思っていなかったです」
-23人目(昭和58年4月以降)の快挙です。

高谷雅彦選手(青森・67期・A1)
「23人もいるってことですよね(笑)。23人のうちの1人よりも、もっとこれから狭めたいと思っています。600勝までいったら、23人からは減るので、また1つ1つ積み重ねていくしかないですよ。500勝達成するにあたっては、A級の敗者戦でも1勝ですし、グランプリでも1勝は1勝なんですよね。勝ち負けは絶対にある勝負なので、当たり前ですけど一生懸命に走らないといけないと思っていますし、そこを大事にして走ってきました。(勝っているのは)たぶん敗者戦の方が多いと思いますから」
-2月15日の小倉FII最終日(特選)でリーチをかけて、次場所の伊東で達成となりました。
「伊東の開催の前に後援会の人たちとご飯を食べる機会があったりして、『絶対に伊東で達成するから応援してください!』と言っていたので、有言実行できたのは良かったです。伊東の3日間は有言実行しないといけなかったですし、1着がほしかったので、いつもと違う感じが自分でもありましたね」
-最終日のレースは、内に斬りこんで好位置を確保してからのまくりで1着と若々しいレースぶりでした。
「初日も2日目も自分の中では良かったんですけど、(勝ち上がりは)ダメでした。でも、それが最終日には繋がったと思います。自分がなぜ500勝ができたのかなと考えてみたら、前々に攻めてきたからだと思うんです。S級のときもそうでしたけど、『前にいけるのにいかなかったから負ける』というのが自分の中にはあって、それさえできれば、あとから1着は付いてくるものなのだなと。(500勝は)23人が達成しましたけど、先行選手が大半だと思うんですよ。自力選手は自分で左右できますし、自分でレースも作れる。ダメなところもありますけど、そこも良かったのかなと思いますね」
-500勝の中で、思い出のレースをひとつ挙げるとすれば?
「それは聞かれるだろうなと予想していました(笑)。正直、すごい前の話ですけど、20年くらい前の青森の全日本選抜(95年7月)ですね。そこで決勝2着になったんですけど、その時の勝ち上がりの2日目のレースが一番の思い出です。今の時点で競輪を引退したとして、一番心に残っているレースは何ですかと聞かれたら、たぶんそのレースを選びますね。初日特選で負けて、2日目の二次予選に回って逃げ切ったんですけど、そのときは本当に嬉しかったですね。地元の雰囲気もあったし、自分の力を出し切れて1着を取れたので思い出のレースです。涙が出てきたのは、そのレースだけなのかなと。負けて涙を流したことは、何回もあるんですけどね(笑)」
-そのレースが選手人生にとっての転機にもなったと?
「それは少なからずあると思います。地元の特別競輪は何回もあるわけではないですし、走れるわけでもないですから、たまたまそのタイミングで自分が走らせてもらって、期待もあったわけですよね。そこで責任を果たすことができた、達成できた。自分のレースができたことが、すごく良かったのかなと思います」
「支部長としても青森をもっと盛り上げていければと思っています」
-選手としてのキャリアも23年を超えました。
「あのレースが自分の中でしっくりきた完璧のレースだったので、それを追い求めて今もやっているのかなと思います。自転車の乗り方もデビュー当時よりも今の方が絶対にうまくなっていますし、今が一番良いのが良いんですけど、レースのこととかを考えると、そこまではいっていないのかなと。あのレースに近づきたいという思いはありますね」
-そこがモチベーションを支え続けているのですね。
「そうですね。そのときは特別競輪だったので、お客さんも多くて、今の何倍も入っていました。その舞台で走らせてもらったし、すごく応援があった。こういうことも、後輩たちには受け継いでほしいと思っているんです。ああいう舞台を走ればモチベーションも上がるし、自分がそうだったように、また変わってきますから」
-そして高谷選手といえば、現在も自力選手として活躍し続けています。「自力」へのこだわりは?
「それはいつも考えているんですよね。『いつ、何を目指すか』なのかなと。S級の上にいくなら、今の自力だけでは無理なんですよ。でも、そこには戦法への葛藤があって、試行錯誤もあります。出来るのであれば自力、今の戦法で上にいくのがベターだし、ベスト。でも長年やっているとそれだけでは無理かなとも思うけれど、A級では自力を出さないといけないとも思うし、矛盾するところもあるので、そこをはっきりさせたほうが近道なんですけどね」
-それと同時に、お客さんが高谷さんの自力戦を求めるときもありますよね。
「そうなんですよね。もちろんヤジもありますよ。昔は強かったよなとか、もう終わったなと言うヤジも聞こえてきますけど、この前の伊東も自力で1着を取ったときは、すごい声援がありましたし、それはどっちが大事なのかなと。やれるならやったほうがいいのかなと思うし、その中で何かをまた掴まえて、ひとつずつクリアしていくしかないのかなと思います。今は追い込み選手になろうと思わないし、なれないから自力をやっているんです。以前、大先輩の坂本(勉)さんにも『やれるなら追い込みをやる、やれないから一番前で走る』と言われたことがあって、今は勉さんの忠告通りにやろうかなと思っています」
-500勝を達成した今、次の目標を教えてください。
「400勝から500勝まで7~8年かかったんですよ。600勝はしたいですけど、また一歩ずつ積み重ねていくしかないのかなと。あと、自分は支部長もやらせていただいているので、青森で自分たちがやってもらったことを後輩たちにもやってあげたい、そういう環境で走らせてやりたいという思いがあります。強くなれば違う世界が見えてくるし、こういう世界では下よりも上にいたほうが絶対いいので、そこはいろいろ対応していきたいなというのはあります。それは支部長になる前から思っていて、いろいろ考えていたことでもありますし、せっかく地元がある競輪場なので、そこを有効活用して良い成績を取れば選手も一番嬉しいし、青森競輪をもっと盛り上げていければと思います」
-青森競輪はミッドナイトも始まりましたし、ガールズ選手もデビューしたりと話題も多いですよね。
「そうなんですよ。青森の施行者さんもすごく頑張ってくれているので、自分たちもありがたいです。そこで同調して、協力していくしかないですから。選手は走ってなんぼですけど、走るところが無くなったら終わりなので、協力しながら、青森が盛り上がればいいですね。まずは自分たちの基礎、地盤を固めないと。20年前のお客さんとは違うので、そこは選手も考えないといけないし、20年前なら、プロだから走っていればいいという考えもまかり通るかもしれないですが、今はこちらからお願いしますと言わないと、最終的には自分たちの首を絞めてしまう。お客さんの買ってくれた車券が自分たちの賞金にもなっているわけですからね」
-最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。
「(レースでは)今まで通りにやるしかないんですよね。今から何か違うことができることもないし、お客さんもそれは期待していないと思うので、自分のやれることをやって結果を出すだけです。ただそれを維持していく、それがお客さんに一番貢献できることなのかなと思っています」