インタビュー

2014年末、代謝に掛かるギリギリで抜け出し、2015年4月19日向日町競輪場で通算500勝を達成した。
この500勝はみんなのおかげという山田。
その山田に500勝表彰の後、インタビューをさせていただいた。
500勝までの道程はどのようなものだったのだろうか。
あまり意識していなかったですね。
気がついたら近くなっていました。
デビューしてから今年で30年ですね。

500勝表彰での記念撮影

表彰される山田選手
500勝までの長い道のりがあったと思うがまずは、競輪選手を目指した理由からスタートしよう。
「自転車が好きだったということもありましたけど、たまたま今の名電高等学校の自転車部に入りまして、そこはみんな競輪選手を目指す生徒ばっかりだったんですよ。自転車競技を続けながら、競輪選手の試験を受けて、2回目で合格しました。それでダメでしたら、2回で競輪選手はちょっと諦めようかなと思っていました。ちゃんと仕事をしないと、と思っていましたから」
競輪選手としてデビューしてから今までは率直な思いを聞いてみた。
「楽しいことはたくさんありましたけど、苦しいこともたくさんありました。まだでも、終わったわけではないので、これがまだ続くんだろうなって。ただそれぐらいだけですかね」
と、クールな雰囲気でスタートしたインタビューだが、徐々に熱くなる。
さらに、一番の疑問点を冒頭から尋ねてみた。
バック9本(5月23日現在KEIRIN.JP調べ)。
今も自力で動いている理由はあるのだろうか。
「変わろうと思った時期もありましたが、技術的にというのもありましたし、練習しても常に自力というイメージがあるんですよ。とにかく作戦立てるのも何をするのも自力で、ある時これは抜けれんなと思ってそこからずっと自力で。自力でずっとこられている先輩方も変わろうと思った時期はあったと思います。それと同じだと思います。それは性分なんでしょうかね、でも憧れますけどねマーク選手に。やっぱり後ろついて捌いて、あれが競輪かなと思います。自力選手は華やかですけど、なんかこうテクニックですか、ああいうのを見るとカッコイイなと思います。しかし、憧れはありますが、自力選手の誇りは持っています」
さて、500勝のレースの中で特に印象に残っているレースはどのレースでしょうか?
「色々ありますが、初めてS級で、それも向日町記念で、大先輩の高橋健二さんに、そんなレースじゃダメだ、もっと上手く走らないと、ということで、イン粘りというのを伝授されたんですよ。(レース当日の)朝練習からずっと。そうするとしないわけにはいかないじゃないですか、先輩を目の前にして。それで、レースでは番手で粘って、競り勝って。追い込みではないので、すぐ番手から捲って1着でした。その時に、自分はやればできるんだなと思って。それで終わっちゃったんですけど。しばらく経ってまた、(レースが)ダメだなって言われて、岐阜記念初日で、番手で競り勝って、番手捲りして1着。やればできるって言われて、またやらなくなりました。
その1回目の向日町記念初日ですかね、ただ力だけではなくて、やった感がすごくあったですね、デビューして初めてレースしたんだという。
力では絶対勝てない相手でした。それにどうやって勝つかといったら、競技ではない競輪なので。そこで、あ、自分、競輪選手になったと実感しました」
しかし、番手を回る選手になろうとは思わなかった。
「柔道と一緒で、小さい選手でも勝てるじゃないですか競輪は。僕でも歳がいっても勝てたりするので、そういうところも競輪の魅力ですよね。捌いて力上位の選手にも勝つという。わー、格好良いなと思いますよね」
自力選手の気持ちを話してくれた。
「後ろについてくれる選手は、先行選手がいるからって言ってくれますし、僕たちは後ろの選手が何人いるか有利なわけじゃないですか。だから付いてくれるマーク選手とかはすごくありがたいと思っていますし、ついてくれるというだけでありがたい。後ろの選手は前を走ってくれるだけでありがたいと言ってくれる。気持ちの繋がりがラインで上手に行くと思うんですけど。 これが、俺は先行選手だから!なんて言っていたら多分もう勝ててないですね」
500勝達成には大きな障害があった。2014年末、その大きな障害をどのように突破したのだろうか。そして2015年5月現在、昨年の勝数に並ぶ勢いで1着を取っている。
「昨年(2014年)暮れの豊橋の最終戦だったんですけど、本当に代謝に掛かる一人、二人でした。で、ほぼもう諦めた。それまで頑張ってきたんですけど、開き直りですよね。今年2015年が500勝、50歳、デビュー30年とすごく節目の年なんですよ。その意識はありましたが、やはり最終戦になると、あ?もうダメだな、ダメかもしれん、じゃあもう思い切って、地元戦だし、という気持ちはあったんですけど。それで開き直って走ったら1着、二日目も1着、決勝では3着だったんですけど、そこからこう開けたんですかね、点数取らなきゃというところから、あ!取れたと。先輩、後輩、周りで見ていてくれた人たちとか、一緒に走ってサポートしてくれるわけではありませんが、応援してくれました。これで、せっかく点数が取れて良かったーなんて言っていたら失礼だよなと思って、昔のデビュー当時の新鮮な気持ち、集中力で、入れるようになりました。それまではクビになりたくないとか、勝たなきゃいけない、500勝や色んなプレシャーで、レース自体がギクシャクしていましたが、代謝から抜け出せたら、集中出来るようになり、メリハリが出て、勝利を重ねるのが今年に入って早くなりました。改めて気持ちだなということが30年たって凄くわかりました。今思うと昨年暮の最終戦はどんな気持ちだったんですかね、それがなかったら500勝もないですし、そこで終わっていますし、過ぎてみると不思議ですよね。なんで急にそんな成績がポッと取れたから、周りもびっくりしていたんです」
プレッシャーから解放された途端、勝利を重ねることとなった。そして、500勝達成だ。
「愛知県の先輩方も500勝を達成した近藤幸徳選手もすごく気持ちが入っていますし、その息子の龍(龍徳)も小さくてもすごく気持ちがあるし、今回500勝を達成した時の向日町競輪場に、同県の鰐渕選手がいたんですけど、500勝しなきゃいけないって固くなっていたら、小さくなったらいけないと、すごくハッパをかけてくれるんですよね。彼も気持ちが強い奴なので「何をやっているんすか、そんな小さいこと」と言われて、結局ちまちませずに先行しに行ったら勝てて500勝を達成出来ました。先輩にも後輩にも感謝ですよね」
500勝達成後の山田選手の気持ちの変化はどのようなものなのだろうか。
「500勝というのになると、S級の後閑や、神山はもっとすごいですし、その辺のクラスの500勝と自分で比べてしまうんです。そうすると僕みたく長く続ければ、自力で、いつかはたどり着けるというのと、上のクラスで走る500勝とはやはり違うよなというのが自分の中であったんですよ。同級生の選手が、「それは違う」と、「プロ野球とかと違って、自分の成績ではなくてお客さんに還元できているというので、S級S班であろうがチャレンジだろうが500勝というのはすごい。それだけ還元しとる」と言われた時には、なんというありがたいことだと思いました。自分はこれを誇りに持ってちょっと500勝を自慢?自慢ではないけど受け入れていいかなと思いました。そこは本当に素直に500勝やった!と思いたいですね。劣等感という訳ではありませんが、自分の中で500勝をお祝いしてくれたって、と、若干捻くれて思っていましたが、色々なことを教わりました」
選手を支えてくれるファンに対しても熱い思いがある。
「500勝達成の時、愛知県から向日町まで応援しに来てくれた方がいて、その時、花束をくれたんですよ。いや出来なかったらどうするつもりだったのだろう、この人と思って、良かった!ここでできてと思いました。すごくありがたいですよね。今、昔と違って、愛知県とか豊橋競輪とかお客さんと接することがすごく多いんですよね。身近なので、声援がすごくあったかいですかね。僕がデビューした時は、金網があって一線置いて、まず関わってはいけないというのがあったんですけど、やっぱり話をすると、お客さん側の気持ちも伝わりますし、ダメな時の野次って、昔はクソって思っていましたが、その野次もああ仕方ないよなと。でも会えばまた普通に「お前なんや!」って普通の友達みたいに、イベントなんかに出ると言われると、お客さんに対する僕たちの感覚もちょっと変わってきました。特にファンの方々が豊橋は温かいんですよね。こじんまりとしているからだと思います。良いところで練習させてもらっています」
30年掛かって達成した500勝を支えた練習とは?
「今になって思いますが、練習の質がかなり上がったと思います。前はただ闇雲に、同じ時間に来て、同じことをしていました。一人で街道に行ったりですね。今は毎日、豊橋に来ています。本当に豊橋の練習環境が良くって、いる時だったらクラスを分けることなく深谷知広、金子貴志とかとみんな一緒にやっているんですよ。500勝とかなる前は、ちょっと俺いいわって、なっていたんですけど、最近は貪欲になったよなっていうのは今思います。今もそれが続いていて、若い奴に誘われて、尻尾振って行っちゃいますもんね。結果が出たんだと思って。また、自分のように弱くても、楽しく、アドバイスもしてくれますし、僕がこうじゃない? というのも聞いてくれるんですよ。いい雰囲気でいい環境で練習させてもらっています。そういうことが自分を支えてくれたと思います」
今後の目標を聞いた。
「少しでも長く、選手が好きなのでしたいし、少しでも長くみんなと練習したいし、走るからには勝ちたいです。勝つのも自力選手として、見せて勝ちたいというのがどこかにあるので、昔よりレベルは下がっていますが、その中で納得してもらえるようなレースをしたいですね。なかなか自力を出させてもらえませんが、若い子相手に頑張っていきます。応援よろしくお願いします」
山田稔 (やまだ・みのる)
1985年9月7日デビュー
趣味 ギターを弾く。家でお酒を飲むこと。 今年に入り11勝(5月23日現在)をあげている。