率先して新しいトレーニングに挑んできた中村浩士は、昔、変わった人とよく言われてきた。だが、その声に自分を曲げることなく、理想に向かって真っ直ぐと挑んでいる。
千葉支部の副支部長としても尽力中だ。
自分の印象にあるレースというより、お客さんの印象に残ったレースの方が嬉しいですね
-中村浩士選手が、選手になったきっかけはどのようなことだったのでしょうか?
「高校で自転車部に入部したとき、先輩から競輪選手という道もあるって教えてもらったことでした」
-その自転車部を選んだのはどうしてでしたか?
「僕は京葉工業高校卒なのですが、そこに自動車部と自転車部があり、どちらも好きな部活で、迷っていて、そうしたら先生が『自転車部に入ったら』って、声をかけてくれて、元来好きだった自転車の部活! 自転車部に入りました」
-自転車部の練習は相当きつかったと思いますがそのあたりはいかがでしょうか。
「選手になれるって聞いた時に、『僕がプロのスポーツ選手になれるのか!?』って思って、親に話すと『頑張れ!』って言ってくれて、そこからは選手になるために、朝から晩まで自転車に青春を注いだみたいな感じでした」
-競輪選手になってみてからはどうでしたか?
「夢のプロスポーツ選手だったので、すごく嬉しく思い、憧れの選手になれたのですけど、現場は自分の想像していたプロ選手っていうのと、ちょっと違っていて、そのギャップに驚いたのを覚えています。でも、そんな先輩たちに勝てない自分が悔しかったですね。それに、練習の仕方もわからないし、言われるまま練習をやっていたんですよね」
-周りから見ると、中村選手というと自分で練習を見つけていくイメージですが、その転機は何だったのでしょう?
「このままじゃいけないってずっと考えていて、そんな時に僕の師匠(吉田昌弘)の師匠の馬場(進)さんが『自分の賞金を、自分の成長させてくれるトレーナーなどに全て注ぎ込め』って教えてくれたんですよ。それを僕は信じて、トレーニングを教えてくれる人にお金をつぎ込もうと思って、賞金のほとんどを入れていったんですよね。そこで新しい世界を見つけたんです。
当時、競輪選手といえば乗り込んで乗り込んでの練習が主流でしたが、そこのトレーニングは、明らかに今までと違うものでした。今では、バランスボールトレーニングや体幹トレーニングが当たり前になっていますが、当時はそんな情報が何もない時で、そんな新しいトレーニングをしていると『何をやっているんだ』とか『変人だ』ってよく言われてました(笑)。でも、誰もが知らないトレーニングを行う僕は、変わっているヤツだと思われているのはしょうがないと思って続けてやっていました。それもA級で新人の時だったので、余計に言われますよね…。 その頃からも絶対に上にあがるぞって思っていました。
そんな時に、1歳下の後輩の伊勢崎(彰大)選手がデビュー、あっという間にB級特進して、A級特進して、S級になって、特別競輪に出るようになって、自分は先にデビューしているのに遅れを取ってしまって、そこでも『これではいけない』と思えて、自分のスタイルを築こうと思って、ギアを下げたんですよ。主流が3.57の時に3.43っていうギアを使ったんですよね。ギアを軽くして、レースに挑んだら伊東温泉競輪で3連勝しました。自分に力がなかったものだから、そのギアがマッチして、身動きが取れて、繰り返し勝つ事が出来て、S級にあがれたって感じでした。S級にあがって、1枚あげて3.50っていうギアにして戦っていって、そこからは自分のスタイルを築いて、先行、カマシ、捲りと、あの時は先行にポリシーを持って走っていました。でも、それもずっとやっていたんですけど、これでは頂点までは厳しいと思い、いつからかイン粘りなどをやりだして、そうしたら前に選手がつくようになって、そこからは、ずっと追い込みとして戦っているという感じですね」
-今だと『中村さんはトレーニングの勉強をしているから、教えてください』って人も多いのでは?
「今はそうですね。一時期は多額のお金と時間をかけてやっていたので、そのトレーナーも他の人には教えないでくださいみたいな風に言っていたんですよね。でも、ある程度して、S級1班になったくらいの時に、チームワークとかそういうものを気づきだして、僕にあるものを全部開放しようと決めたんです。それで、自分のやってきたこと、自分の教えられるものは、教えてくださいって人がいたら全部話していこうと思ったんです。そしたら、どんどん人が集まってきて、あっという間にチームが出来たんですよね。そうしたら、練習も濃いものになるし、質も上がれば、量も増えるといいこと尽くめでした。でも、苦しい練習をしても結果が伴わないと、いなくなる選手もいて、最初のチームは、人数が少なくなり、僕と、引退された高橋敦史さんの2人しか残らなかったんです。その後、高橋さんと共にもう1度やろうってことで、それで始めていったら、またどんどん仲間が集まってきて、弟子も増えて、今の中村道場が出来ました」
-それは中村さんが今まで築いてきたものですよね。
「そうですね。やっぱり自分が経験したことしか伝えられないから、自分がやったことを伝えてあげて、それを自分もやるから、皆も納得して練習してくれていると思います。仲間を尊重しながら、でもこれはやろうとか、仲間にこれをやりたいって言われたら、じゃそれをやろうって感じで、話し合いながら受け入れながらやることで、また新しい発想も生まれますしね」
-さて、中村選手にとって、一番印象に残っているレースはありますか?
「うーん、嬉しいレースも悔しいレースも沢山あるので、一番って言われると選べませんね」
-初めて特別で優出したレースとか?
「優勝戦に乗ったけど、失格で帰ってきたりしたのはありましたね(笑)。
うーん、そうですね、やはり自分の長所が一瞬でも出たら『良かったな』って思えますね。例えば、ちょっと何年か前になるんですけど、皆がそこまでギアをかけていない時で、どこからでも3着までに入れるって時があったんですよ。その時はどこにいても、最後は来るみたいな時があって、3連対率が高かったんですよね。自分ではチャンスが見えて、そこに突っ込んでいくみたいなところがあって、それを、段々お客さんもわかってきてくれて、『中村浩士は苦しい展開でも3着までには来るから』っていう風な声を聞いたりすると、嬉しかったですね。
それから、僕のホームページの中にベストレースのページがあるんですけど、そこの中に印象に残ったレースがいくつかあります。奈良記念(2013年)で9番手から1着に来たレースは、奈良競輪場でずっと記者をやっている人に『こんなの初めて見た』って言ってもらいました。あとは、松戸のバンクレコードですね。あの時は最終3コーナーで9番手だったけど、内、外といって、最後は抜けて1着でバンクレコードを決めました。自分の印象にあるレースよりも、お客さんの印象に残ったレースの方が嬉しいですね。
それが、いつまでも発揮できればよかったけれど、皆のギアがかかりだして、いい所が出なくなった時期がありました。でも、また皆のギアが下がったので、ちょいちょい出るようになってきて、今面白くなってきたところですね」
-また最近では、競輪選手会千葉支部の副支部長にもなって忙しいのでは?
「副支部長として、支部長の下、千葉県の選手団の指揮を取っていかないといけないですからね。しかも、今は千葉競輪場の存続という問題でも、非常に忙しくなっていて、色んなことに頭を使いながらやらせてもらっています。でも、そういうことを任されるっていうのは、なかなか無いことで、今までの経験をフルに活かしていきたいですね。僕は競輪選手とは一見かけ離れた勉強もしてきており、経営学や、メンタルマネジメントや、相手とのコミュニケーションスキルとか、潜在能力の発揮の仕方とか、本も沢山読みました、旅も色々しました。それこそ、馬場さんが教えてくれた、メンターっていう、師に値する人にお金をかけなさいという教えを守り、色んな勉強をしてきて、今があると思います。そんな経験も今までは道場内でしか出す場があまりなかったんですけど、それを今度は道場だけじゃなく千葉支部全体に、もっと言うと競輪界全体に、さらに言うとスポーツ界全体に広めていけたらなっていうところが夢の一つではあります。もちろん、忙しい中でも練習はきっちりこなしています。そうじゃないと上位にいけないから、競輪の方の夢を捨てたわけではないですし、今からまた強くなるんだ! っていう想いでいます。それに、皆のためになれるならって副支部長という仕事も引き受けましたが、その仕事のなかで覚悟が生まれ、 自分のスキルもあがってきているような気がします。例えば、マイクを持たされたら、MCでも何でもこなせるようになってきていて手応えも感じて、今は新しいファンを作り出す仕掛け作りを幾つか進めています、一つ言うと競輪場を盛り上げるために自転車の説明や競輪場の遊び方や選手の紹介などの動画を作り出しているんです。
例えばサドルの説明をするにも、ただ説明しても伝わらなくて、テンション上げて『サドルってこうなんです。コンコン!(サドルをたたく)硬いんです! それをなじむまで使い込んで選手は使っているんです!』とかって説明しないと、見ている人に伝わらないなと思って、こんな風に話したら伝わるかなって考えながらやっている最中ですね」
-多才に頑張っていますね。
「能力を磨きあげ、人としての可能性を世に発揮していければいいなと思っています」
-千葉県では、9月19日から23日に松戸競輪場でオールスターもあります。そちらへの意気込みを教えてください。
「準備と段取りをしっかりしながら、松戸競輪では、BETしてくれたお客さんに納得してもらえるレースを出来たらいいですね」
-松戸の相性は?
「いい時も悪い時もありますが、やっぱり相性はいいと思います。走りやすいし、松戸記念の4連勝もあるから、今の状態で行けば面白いんじゃないかなと思います」
-最後にファンにメッセージをお願いします
「これからもお客様に納得していただくレースを心がけて、頑張ります!」