インタビュー

1990年4月に伊東温泉競輪場でデビューから25年が経った望月裕一郎。現在も好調を維持し、頑張っている。S級にあがるまで10年かかった望月が45歳になる今、S級1班で活躍しているとは誰が想像しただろうか。その秘訣や、選手を目指したきっかけから現在までを振り返っていただきました。
目標のために、まだまだ練習と勉強していきたいです
-まず、望月裕一郎選手が競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
「僕は小学校から陸上競技をやっていて、短距離の種目だったんですけど、『適性試験で競輪選手になれるんだよ』という話を聞いて、元々、身体を動かす仕事につきたかったので、それで競輪選手を目指しました。
 僕の家の近くに師匠の国持晴彦さんがいて、国持さんの家が自転車屋さんで、国持レーシングというチームがあって、国持さんの家に行って、選手になるためにどうしたらいいかを聞いて、高校3年生の時に試験を受けました」
-その時の選手のイメージはどのようなものだったのでしょうか?
「その時はバブルの時代で高収入であり、スピードに迫力があって、格好いいなと思い、身体を動かすプロの仕事としては最高だと感じていました。あのスピードはすごいし、ましてや自分の力でお金を稼げるというのは魅力的で、競輪選手になりたいなと思いました。努力すれば努力しただけ結果が出る世界なので、そこに魅力を感じました」
-競輪学校を受けた時はどうでしたか?
「適性試験は、陸上の大会に出るよりも緊張せずに出来て、たまたまタイムが出て一次受かって、二次のエルゴメーターも僕は固定の自転車が得意だったので、タイムも出て、恵まれて1回で受かりました」
-65期はかなりすごいメンバーが揃っていましたね。
「そうですね、上はすごい人たちばっかりでしたね」
-学校時代はその中でやるのはプレッシャーでしたか?
「でも、僕は適性出身だったから、アマチュアで誰が強かったとか全然知らなくて、適性9人だけ先に事前研修で入って、その練習についていくだけで精一杯でした。古川(圭)さんたちと励ましあいながら、学校時代を過ごしましたね。『どっちかが卒期チャンピオンを獲りましょう』って言っていたんですけど、古川さんが獲ってくれて、『やった、夢が叶った』って言っていました。あの学校時代が大変でしたね。あとで、技能の方を聞いたら一流ばっかりしかいなくて、在校時は知らなくて、後で考えると65期に入れて嬉しかったですね」
-卒業してからはどうでしたか?
「器用な方ではなかったので、先行も出来なく捲りばっかりでした。最初は勝てなかったけど、やっぱり練習していれば、いつかは花開くなと思って、練習は楽しくやっていました」
-S級に上がるまでは少し時間がかかったイメージがあるんですけども。
「そうですね、自分で言うのもおかしいですけど大器晩成ですかね。A級も鳴かず飛ばすで、30歳でS級になったので、そんなに優勝もいつもしている訳ではなかった。でも、自分に合ったフレームにしてからは、自分の持ち味が出せるようになって、点数も取ることが出来て、S級に定着することが出来ました」
-S級になってからはどうでしたか?
「当然S級で壁はいっぱいあって、A級時代が長かったので特別競輪なんて夢の世界で、テレビで見ていた世界でした。怪我したりして成績が落ちた時も、練習だけはマメにやっていたので、コツコツやっていたことで土台がしっかりしていたので大崩せずに来れているのだと思います」
-今年1月の岸和田で300勝も達成されました。
「そうですね。優勝も2回出来て、それに特別競輪も出させてもらって」
-近況の成績も安定していますよね。
「はい、FIもだいたい決勝に乗れていますし、今も充実した練習が出来ているので自信につながって、結果に出ていると思います」
-最近はどんな練習をしているのでしょうか?
「いえ、3人で考えます。アマチュアの子が『これをやりたいです』っていえば、『じゃ、これやるか』みたいな感じで、皆でザックバランにやる方がいい状態で保てているし、 僕が結果を出せば、『あの人が結果出しているなら、僕もタイムを出せる』と思ってもらえるように頑張っています」
-今までを振り返って、波乱と順調、どちらですか?
「どちらかと言うと順調だと思います。夢だったS級にもなれたし、今、45歳ですけど、スポーツの世界で40歳を越えたら力も落ちてくるし、体力の衰えもあると思います。それが今この位置にいられるのは順調に来られていたから今があると思います」
-印象に残っているレースはありますか?
「最近だと、いわき平FIの決勝戦は、バック9番手だったんですけど、そこから外を伸びて、優勝が獲れたのは僕の今の状態の良さが、あのレースだって自信になっています。あとはサマーナイトフェスティバルの初日なんかは、大きい大会で連に絡めたし、オールスターでも2着に入れたし、最近になりますが、特別競輪で連に絡めて、一次予選を突破できたのは自信につながるレースだったと思います」
-この好調の秘訣は何ですか?
「充実した練習と体調の管理が出来ているので、レースも流れが見えますし、おかげさまで落車も最近はしていません。身体の状態もよくて、いい練習が出来ていることだと思います」
-今後の目標を教えてください。
「ここまで、まだ記念優勝をしていないので、記念の優勝をしたいですね。あとは45歳なので、一戦、一戦を悔いが残らないレースをしたいですね」
-例えば、前が行き切れない場合とか、どのように考えていますか?
「僕は前を信頼してついているので。行けるところまで行ってくれたら、あとは切り込んでみたり出来るんで、その捲りとかを考えて練習しています。あと、突っ込んでいくタテ脚も練習しているので、目標が飛んじゃった場合でも、自分でも突っ込めたり、後ろに追い込み屋がついてくれた時に安心してついてくれるような、あの人の後ろだったら連れて行ってくれると言われるような追い込み選手にもなりたいと思っています」
-まだまだ目標は数多くありますね。
「そうですね。目標は50歳になってもS級にいれるようにしたいので、まだまだ練習と勉強していきたいです」
-では、最後にファンにメッセージをどうぞ。
「僕の持ち味は、直線一気なので、その持ち味を出せるように、またお客さんに貢献できるように頑張っていきたいと思います」