1985年にデビューし30年。鈴木誠にとって2015年は節目の年だった。だが、手首を複雑骨折してしまい7ヶ月の長期欠場を余儀なくされてしまった。
9月に函館で復帰を果たしたのだが、7ヶ月休んでいる間に改めて気づいた競輪への気持ち、復帰後のレースに臨む心境、また、デビューから今までを振り返ってもらった。
-まず鈴木誠選手が選手になろうと思ったのはどのようなきっかけでした?
「住んでいた近くに競輪選手がいたんですよ、ただいたっていうだけなんですけど。あとは中学3年生の時だったと思うけど、プロスポーツの中で中野浩一選手が松戸競輪場で1億円を達成したってニュースを見て、競輪っていうのがあるんだなっていう感じでした。それで、『競輪選手になるには競輪学校に行かなくちゃいけない』、『高校は自転車部があるところがいいよ』っていう話を周りの人から聞いて、自転車部のある高校に進学しました。高校から競輪選手になるために部活に入りました」
-競輪学校時代はどうでしたか?
「同世代の人が多かったし、成績のズバ抜けてよかった人もいたけど、その中で比較的よくやってこれた方じゃないかと思います。今となってはいい思い出ですね」
-学校を卒業しプロデビュー時はどうでした?
「(当時)新人リーグだったので、競輪学校の延長のような感じで、なかなか勝てなかったんですけど、でも、その中ではA級1班に格付けされたので、まぁ順調だったんじゃないかと思います。その頃は同期との対戦だったので、先行も少し悩んでいましたね。A級1班になってからは順調に3場所でS級にあがれました」
-競輪選手としてやっていける手応えを掴んだのは?
「3場所でS級にあがっても、S級で活躍しないと、上には上がいますからね。特別競輪に出られるようになってからは、いいんじゃないかなと思ったけど、それまでは不安でしょうがなかったです。定着してからは特別を目標にやっていました」
-千葉には偉大な先輩がたくさんいましたね。
「滝澤正光さんや吉井秀仁さんがいて、練習の内容は今と違って科学的なトレーニングと違って、ひたすら自転車に乗るという努力の練習方法をいっぱい聞きましたね」
-そうすると相当、練習は苦しいと思われますが?
「それをやっているから滝澤さんがあんなに強かった、吉井さんがあれだけ強かったという実証を見ていたので、その練習をすれば自分も強くなると思っていました」
-その千葉の偉大な先輩である滝澤さんの前で走るのはどんな感じだったんですか?
「滝澤さんの場合は、その頃は今と違って、先行してどこからでも番手捲りしてくださいというような感じでは受け止めてくれなかったし、滝澤さんも先行で日本一になった人なので、お前が先行するより俺が先行した方がというような感じで。言葉には言わなかったですけど、そういう感じだったので、『俺が先行する』って言われてしまうと、先行選手でも後ろを回っていなきゃいけなかったから、それで滝澤さんの前で先行するには、成績うんぬんよりも滝澤さんより先行回数が上じゃないとダメだっていうのがあったので、滝澤さんの前を乗るまでは先行回数を多くしていましたね
」
-認めてもらえないと前を回れなかった時代ですね。
「そうですね。そういうのがあったから、自分も高木(隆弘)が出てきた時に、同じ戦法だったので、『高木がやるんなら俺がやるから』みたいな感じで若い時はやっていました。だから、逆によかったかもしれないですね」
-1987年に競輪祭新人王を獲っていますが、1990年高松宮杯(現在は高松宮記念杯)で初めてタイトルを獲った時はどうでしたか?
「その時は滝澤さんの後ろからだったので、もちろん素直には嬉しかったんですけど、今度はやっぱり自分で獲りたいなって思いました。それに、1個じゃなく2個目を獲りたいなという気持ちは強かったですね」
-1991年の全日本選抜を優勝した時はどうでしたか?
「全日本選抜の時は、初日からバンクレコードも出して、体調的にもすごくよかったんですよね。でも、ものすごく強い吉岡(稔真)がいたので、そことの対戦だなって思っていました。だから、すごい気合が入っていましたね!」
-あの決勝戦は伝説に残る名勝負でした。
「あの時は千葉で4人くらい乗ったので、僕の前でも和泉田喜一が発進してくれて、その、作戦面としては、すごくよかったんじゃないですかね」
-その年のグランプリも優勝されていますね。
「あの年は自分の中でも、すごく体調もよかったですし、成績もよかったですしね。そこそこ戦えるとは思っていました
」
-特別の優勝はちょっとそこからしばらく空いて2005年の日本選手権になりますね。
「そうですね、吉岡が出てきて、神山(雄一郎)が出てきて、戦法的にも悩む時期にさしかかって、30歳を過ぎてどうしようかなっていうような…。先行では通用しなくなってきたし、かと言って、捲りだけでも、追い込みだけでも通用しないし、そうやって悩んだ時期はけっこう長かったですね。
その間に練習方法もガラっと180度変えたりとか、街道中心だったけど10年間バンク一本にしてみたりとか、色々と変えて悩みましたね。自転車のことも勉強しましたし、トレーニングのことも勉強しましたし、色々なありとあらゆることを吸収しようと思って、やっていた時期でもあります。だからこそ、長くやっていけているのかなというのはありますけど」
-その日本選手権を獲った時の気持ちはいかがでした?
「地元で日本選手権があるということも数少ないですし、ましてや、そこで獲れるということはなかなかないですからね。それに、やはり日本選手権を獲るっていうのは一番の目標でいたので、それを獲れたことは選手冥利に尽きるなって思いました」
-そこから10年経って、今年は長期欠場もありましたが。
「今年、選手生活30年目だったんですけど、今年の初めにケガをしてしまって、走れなかった時期が7ヶ月ありました。まぁ、こんなことを言うのもなんですけど、2ヶ月、3ヶ月だと嫌になることも多かったので、どうしようかなって思ったんですけど、5ヶ月くらい経ったら『また競輪を走りたい』って気持ちが沸いてきました。自転車っていいなってまざまざと思いましたね。手首のケガだったので、他は元気だったので、暇でしょうがなかったんですよ(笑)。やはりやることないなっていうのは一番の苦痛ですし、だったらもう一回練習をし直して、長く(選手を)やりたいなって気持ちになったのはよかったかもしれないですね」
-どこをケガしてしまったのですが?
「左手首で、複雑骨折だったので骨移植したんです。腰の骨を取って、移植したんですけど、もうプレートも取りました。もう少し早く復帰出来たけど、プレートを抜くのが半年経たないと出来なかったので、復帰して、またプレートを抜くのにまた1ヶ月休んでというのはいやだなと思ったので、だったら、ちゃんと治してから出ようと思いました」
-7ヶ月はどう過ごしたんですか?
「2、3ヶ月はぐだぐだしていたんです。こうして終わっていくんだなぁって思ったけど、段々、3ヶ月経ってくると、やることがないから、自転車に乗って身体を動かそうかなとか、ジムに行って身体を動かそうかなって思って、それが楽しくなってきて、また自転車に乗ろうってなったから、逆によかったかもしれないですね」
-ここまで長期間休んだことはありましたか?
「もちろんないです。今までは最高で2ヶ月しか休んだことないから。いいきっかけになりました」
-その間にどこかに旅行したりは?
「しなかったですね。合宿に行ったりは何回かしましたけど。やっぱり自転車が好きなんでしょうね(笑)」
-復帰戦はどうでしたか?
「函館だったんですけど、2レースくらいは緊張がすごかったですね。レースへの緊張よりも、自分への緊張がすごくて、新人みたいな気分がしましたね。デビュー戦と同じくらい緊張しました」
-話は少し変わりますが、昔、鈴木選手は記念の賞金を一晩で使い果たしたというのを見たことがあるような気がするんですけど、本当ですか?
「そんなことはないんですけどね。でも、その時は吉井さんも滝澤さんも打ち上げは必ず行っていたので、盛大にやって、また次の日からはすぐに練習でしたね。オンとオフの切り替えをはっきりしろって言われていたので、その時は大はしゃぎして、あくる日からは練習に明け暮れるてっていう、競走まではプライベートがなかったので、終わった日くらいは遊ばないとオンとオフがはっきりしないので、だから、終わった日くらいはっていうのはありました」
-鈴木選手から見て、今の若い選手に思うことはありますか?
「自分たちと違って、賞金が少なくなったので、色々と厳しい環境の中で若い人たちは戦っているので、もっと競輪界がよくなって、もっと賞金があがって、若い人たちが頑張ればって思います。上の人たちは稼いでいると思うけど、下の人たちも稼げて、いいって思えるような環境にならないと可哀そうですね。そういうのを味わって欲しいなって思いますね。今は、そういうのを味わうのは本当にS級の上の方じゃないと味わえてないので、その辺は若い人たちは可哀そうですよね」
-もう少し競輪界全体が盛りあがらないといけないですね。
「そうですね。それには、やっぱり、自分も若い時は上の競走しか考えてなかったんですけど、負け戦も、やはりお客さんは買っているんだっていうのはわかっているので、上のレースだろうが、負け戦だろうが一生懸命走るっていうのは大前提です。やればまたあがってくるんじゃないかと思っているんですけどね
-また話は少し変わりますが、鈴木選手は追加あっせんを断らないという話を聞いたことがありますが、本当ですか?
「そうですね。正直言って、若い時は仕事が早く来いって思っていました。20代の頃は1日だいたい200kmくらい乗っていたので、前検日の前の日もだいたい100kmは乗っていたので、競走に行けば1日に1回しか乗らないから、若い時から競走に行くと練習を休めると思っていたので。ですから20代の時は競走が早くこないかなって、早く来ないかなっていう思いがずっとあったので、それが染み付いているんですね。そのくらい若い時は追い込んで練習していました。だから、追加なんか来た日には大喜びで行きました(笑)。
そのかわり、いつも心がけているのが最低限、風邪を引かないようにだとか、自分の体調管理をよくしておくとか、行って失礼のないようにと思っています。やっぱりただ行くだけじゃダメなので、行くからには毎日のトレーニングをしっかりして、風邪を引かないとか、予防はしてくとか、そういうのはしっかり心がけていますね」
-体調管理には気を使いますよね。
「やはり、その辺は気をつけています。今の年齢で、たいして練習出来ないのに、風邪引いたりとか、腰を痛めたりとか、そういうのがあると余計にダメになってしまうので、そういうところは気をつけていますね」
-さて今の目標は?
「少しでもいい成績を取るっていうのは目標ですけど、あとは、やっぱり長くやりたいですね。半年以上休んだからわかることで、自転車っていいなって思ったので、長く頑張りたいですね」
-最後にファンにメッセージをどうぞ。
「どんなレースでも車券に絡めるように頑張りたいですね! 穴党の人も本命党の人もいると思いますけど、『あいつを買っておけば3着以内で来るんじゃないか』って思ってもらえる選手になりたいですね」