インタビュー

デビューから今年で27年目を迎える三宅伸。ずっと岡山を引っ張ってきた三宅に、デビューしてからすぐに大きなケガを体験したことやGI優勝など思い出など語ってもらった。
応援してくれる人がいる限り頑張ります!
-三宅伸選手が、競輪選手を目指したきっかけはどのような事ですか?
「僕は身内に競輪選手がいたので、小学校くらいから夢でした。卒業文集とかに一応そう書いていたんです。高校を卒業する時にはなると決めていましたね」
-高校もやはり選手になるために?
「そうですね。自転車部に入ってもよかったんですけど、それまで野球をずっとやっていたので、高校でも野球で身体作りをして、それで、野球が終わってから(自転車に)転向しました」
-競輪学校は?
「2回目で合格したけど、そんなにすぐ合格出来るとも思っていなかったので、びっくりしました」
-学校時代はどのような感じでした?
「自転車のこととか全くわからなかったので、知識がゼロというかマイナスから始まったような感じで、ついていくのに精一杯でしたね」
-64期の雰囲気は?
「有坂(直樹)君や鈴木健(引退)君が高校自転車界のスターだったので。有坂君なんか本当にすごかったので、雲の上の、もう別格でしたね。野球でいったら清原和博とかそういうレベルですからね、有坂君の高校実績は」
-そして迎えたデビューを振り返ると?
「ガムシャラにやっていたら在校1位とか卒業記念優勝とかしたんですけど、それでも、自転車のことは2、3割しかわかってなかったので、ちょっとデビューに関しての不安がかなりありましたね」
-在校1位や卒記を優勝で、注目度も高かったと思いますが?
「昔は、今に比べると西は東より取り上げられないというか、東日本の方が派手で、有坂君とかの方が取り上げられていたと思うんですよ。あまり今のように全国統一というイメージはなかったから、僕も騒がれていたけど、西日本の方だけとか。それに新人レースは関東の方にレースなかったですからね。今だったら、注目のルーキーとかって全国で注目をあびるけど、そこまで注目されたって感じはなかったですね」 」
-デビュー戦は覚えていますか?
「覚えていますけど、あの頃はもう無我夢中だったので、結果は勝ってはいましたけど、気持ちに余裕なんて全然なかったですね。本当にパニクっていました。自転車の乗り始めたころからずっとパニクってました。デビューしてからも、落ち着くまでは2年くらいは。でも、僕は選手になって1年半くらいで(ケガ)約1年くらい入院していたので、あれで一旦落ち着きましたね」
-ケガをした時は大変だったのでは?
「今、あんなケガをしたら、もう引退しようかなって思うんでしょうけれども、あの頃はまだ希望にあふれていた時期なんで、ちょっと休んで治るだろうみたいな。焦りはありましたけど、焦ってどうのこうのってするようなケガじゃなかったので、諦めてゆっくり、結局10ヶ月くらい休んだのかな」
-どんなケガだったのか教えてください。
「練習中に車と接触して、右膝を粉砕骨折したんですよ」
-複雑骨折は選手生命に係る大事ですよね。
「ですね…。でもまぁ、性格的にポジティブなので、けっこう前向きなんですよ。どうにかなるだろうと思っていました」
-さて、今までのレースで、印象に残っているレースはありますか?
「良い思い出ってあまり残らないというか、悪い方がイメージ残るじゃないですか。だから、自分が勝ったというよりも、先輩が勝ってくれたとか、逆に、グランプリに3回出たけど9着、落車、9着なんですよ、そっちの方が記憶に残っていますね。良いイメージを持とうと思っても、そっちの方が薄いんですよね(苦笑)。でも、それがあるから頑張れるんじゃないかと思います、きっと」
-西武園の全日本選抜競輪(2008年)のGI優勝はどうでしたか?
「あの時にヘルニアが発病していて、優勝インタビューもパニクっていたんですよ、正直に言うと。今考えると、普通だったら、涙が出るような状況だったのに、全然、涙が出ないんですよね」
-そんなパニクっていましたか。
「また、あの状況で獲れるのが不思議な出来事だなと思って。だから、今も選手をやっていますけど、何があるかわからないと思って、諦めずに頑張って、今度獲った時は泣こうと(笑)、そう思って頑張っています」
-三宅選手はいつも落ち着いているので、パニクっている時でも表情に出ないのでわからないですね。
「あの時は、石丸(寛之)とワンツーでしたが、あの大舞台で同県でワンツーを決められることが中国地区ではほとんどなかったので。今でこそ岩津(裕介)が頑張っていますけど、それまで十何年とかなかったので、岡山の2人で表彰台に立てたというのが嬉しかったですね」
-今後の目標を教えてください。
「やり続ける限りはタイトルを目指して、なるべく上位に残留して(笑)、はい、気持ちの続く限りは頑張るだけですね。何歳までやるとか決めてはいないので、気持ちが切れたところが終わりだと思うから、それがS1だろうが、チャレンジだろうが。今、この僕らの年代はけっこうよく言われるんですよ、『いつ引退するんですか』とか。周りがどんどん辞めているので、それはもう気持ちが切れた時だから、明日かもしれないし、まだまだ続く限りは頑張るし、もう気持ち次第です。まだまだ続ける気持ちが強いので、頑張りたいですね!」
-練習方法も変わってきているんですか?
「40歳を過ぎた頃からは、(競輪は)オフがない競技なんで、疲れをためない程度に、日ごろの体調管理だけしっかりしています。けっこう真面目に生活しているんですよ。だからこうやって続けていられるのかなと思います。自分で言うのも何だけど(笑)。節制していないとムリですよ」
-でないと長年選手を続けるのはムリですよね。
「はい、自分もこの年になってわかりますね。若い時に、この年代の人はすごいなって思ったけど、やっぱり節制とかしていかないともたないですね」
-ぜひ、もっと頑張ってください。
「僕らぐらいの年になると、若手としゃべることないじゃないですか、気は遣ってくれるけど、コミュニケーションをはかるのは、20歳の子とかと、当たりさわりなくやっていくのが(笑)」
-先輩でやっている人は励みというか
「同世代でやっている人は励みですよね。星島太とか増成(富夫)とか、小川巧さん、豊田知之(引退)さんとか。豊田さんのことはすごく好きで、競輪に一筋な人で、頑張っていたので、目標にしていたんですけど、昨年辞められて、最初に辞めると電話をもらった時はショックでしたね…。ああやって周りにどんどん辞められると、わからないですね。有坂さんも『自分より先に辞めないでくれ』って言っていたけど(笑)、でも、その気持ちはわかるなって思います。
 もう落ちる一方かなと思ったら、まだ頑張れているので。頑張れたら、またちょっと楽しいんですよね、僕は。でも、楽しくない時とか苦しい時って好きなんですよ。1つ喜びがあるとそれが大きくなるじゃないですか。だから、苦しいこととか、悩むことが好きなんですよ。それを淡々とこなしていくみたいな。実は悩んでいるけど、周りには悟られないというか、周りにも悩んでいないんじゃないかって、でも、すごく悩んでいたり、ふて腐れているのに(笑)」
-そうなんですね。三宅選手はポーカーフェイスというか、全く顔に出ないから話を聞いていて、びっくりしました。
「でも、同じ年代の人たちは同じような悩みとか不安をもっているんだろうなって思います。同年代の人と話しているとだいたい話が合うから、サウナとかで励まし合ったりしていますね。」
-若い時はライバル心だったのが、年を経て戦友みたいな気持ちにもなるってステキですね。
「そうですね、戦友でもあり仲間というか。若い頃はそんなのなくって、ひたすら倒す相手だったけど。そうやって年をとって、知恵がつくじゃないけど、テクニックというか。年をとってからも競輪で勝てるのも、そういうところがあるんじゃないでしょうか。そこがまた奥深さというかね。普通だったら、スピードやパワー勝負で若い子に勝てないですからね。そこが競輪の面白さでもあるのかなと思います」
-では、最後にファンにメッセージをお願いします。
「レースに行っても応援してくれる人がたくさんいるので、そのお客さんが1人でもいる限りは力の限り、頑張るつもりなので、応援してもらえればありがたいです」