インタビュー

幾度となく特別競輪の決勝戦に進出するもなかなかタイトルに手が届かなかった一丸安貴だったが、2006年4月に開催されたふるさとダービー小松島の決勝で、同期の志智俊夫の後ろから追い込んで優勝した。そのときの気持ちが一番鮮明に覚えていると今回語っていただいた。その一丸は今、支部の活動を通して競輪界を盛り上げる為にも奮闘中の日本競輪選手会愛知支部長も務めている。
「もともと親父が競輪を好きだったもので、競輪場に連れて行かれたりとか、また一宮競輪場が近くにあったので、その中で兄貴が競輪選手を目指して、兄貴が乗っているのが一番大きかったです。
 兄貴がやっているので僕もちょっと乗ってみようかなーって乗ってみたら、パッと乗ってパッと良かったんですから、周りからすごいなすごいなって言われてその気になってしまいました」
 才能があるというのは、こういうことを指すのであると思う。自転車の適性があったのだ。

「高校の時はバスケット部に入っていました。自転車は高校1年生の時から乗り出して、2年生ぐらいからはバスケットと両立はしていたけど、自転車の方を比重を大きくして練習していました。
 月に2回ぐらい愛好会がありましてそれに行っていたぐらいですけど」
 他の選手に聞いてみてもあまりこういう選手は少ない。

「パッと乗って最初から良かったですね。自転車に対する素質があったのかなという感じがしますね。
 乗ってみないとわからないですよね自転車は。乗ってみて適性があるかどうか、自分がそうだったように。そういう部分が大きいのかなという感じはしますね。
 乗った時に、乗り方が上手な人とそうで無い人がいるのかなというのは感じますね。乗り方が上手で、なおかつ身体能力が高いとすごくタイムが出ると思いますね。
 でも、一回目の競輪学校の試験は2次試験で落ちたんですよ。正直ちょっとなめていましたね。そんな苦労もせずにタイムも出たし、試験前に怪我して、試験前に13秒ぐらいしか出なかったのが、試験の時に9秒ぐらい出たんですよ。なめていましたね。
 これはもう楽勝だって、そのまま2次試験に行ったら見事に落ちましたタイムが出ずに。そこから本気になって練習しましたね。それがなかったらそこまで本気になって練習はしなかったと思います」
 一発で競輪学校を受かっていれば本当は69期だったのだ。

「70期の入学試験までの半年間でグッと伸びましたね。そういう人って3ヶ月ぐらい練習すればパッと出ますからね。でも、その時は69期で落ちて良かったなと思いましたけどね。そのまま入っていたら、甘く考えて入学して、甘く考えたまま卒業していたと思うんですけど、69期に落ちたことによって、悔しさもあって真剣に練習して。入る時点で69期として大多数の人たちが受かっていたのが見えていたので、入った時から1位で卒業していこうと心に決めていました」
 70期在校1位は一丸だ。学校時代を聞いてみた。

「うーんやっぱり大変だったという覚えはありますよ。普通に朝から晩まで練習していましたし。大変だったなという記憶が強いですかね。
 69期に稲村成浩さんとかいたじゃないですか、90年前橋の世界選手権でタンデムスプリントで齋藤登志信さんと金メダルを獲って入ってきて、周りも強い方が入ってきて、69期が最強の期だったんですよ。取材もすごく多くて、それに入れなかった劣等感的なものがありましたね。だから70期同士の結びつきというのはありましたね。敵は同期というよりも上の69期という感じはありましたね」
 敵は69期。この当時の競輪学校は2期制で春入校が奇数期、秋入校が偶数期となっていた。春入校する奇数期に比べて、偶数期は弱いと言われていた。

「特に、学校時代というよりもデビューしてからですか。やっぱり69期の活躍を目にするわけじゃないですか、やっぱり負けたくないなというのはありましたね。みんな同じような気持ちだったと思うんですけどね」

第69回日本選手権競輪4日目レジェンドレースで
先頭員の役目を買った。
 デビューを振り返ってもらった。

「デビューは、これまたなめていました。練習でA級選手の方には負けないじゃないですか。だから負けるわけがないよなというのがありましたね。でも、いざデビューしてみたら、そう勝てないので、あれ?あれあれ?というのがありました。
 当時は新人リーグがあって、新人リーグの間は同期だけなのでそれなりにも勝てるし、そんな違和感はなかったですよ。
 A級1班格付けだったので、順調だったと思います。簡単にS級になれると思っていたので、あまり深くは考えてなかったですね。結局、1期目にS級は取れず2期目に取れたけど、最初はつまずいたけど、それなりには走れていたので。
 でも、自分の活躍以上にその時よーくA級で当たったのが澤田義和くん(69期・兵庫)だったんですよ。しょっちゅう当たっていて。それは強いじゃないですか。それで澤田はパッと特進してS級でも活躍して。
 それはそれで面白かったですね。69期が各地で旋風を巻き起こしていたので、それには負けないぞという気持ちが強かったですね」
 順風満帆と思われていたのだが、一丸に大怪我が襲い掛かった。

「競輪人生の中で怪我が多かったもので、色々つまずくところはあったんですが、怪我するたびに色々なことを結構考えるし、結構見つめなおせたものでそれはそれで良かったのかなという感じがしましたね。
 でも、愛知でいうと高橋健二(30期引退)さんもそういうような大怪我をされているじゃないですか。健二さんにその時言われたのが、「怪我して弱くなることはないよ」と言われました。怪我して弱くなるやつは、弱いから弱くなるだけの話で、強いやつは怪我しようが何をしようがもう一回強くなるよと言われたので、怪我で弱くなるという感覚は全くなかったですね。
 それで弱くなるんだったら自分は弱いだけの話だなって、自分の中で思っていたんで、回り道をするので時間はかかるにしても、そういうのはなかったな。
 背骨をやった時は1年ぐらいかかると言われたので。
 でもそれはそれで楽しかったですよ。闘病中、色々考えるので考える力がつきました。それは競輪だけではなく色々なことに影響してくるじゃないですか。それはいい財産になったなと思います」
 徹底したポジティブシンキングである。
 初めてのビッグタイトルは2006年4月に開催されたふるさとダービー小松島だ。

「それは嬉しかったですね。GIの決勝乗ったりしても獲れないし、GIIもちょうど走る前に、俺GIIって何回決勝に乗ったかなと考えていたんですよ。普通9回ぐらい乗れば1回ぐらい1着取れるよなって考えて、9回ぐらい乗っているよなって考えていたのが印象に残っています。そう思って走ったら優勝したのですごく印象に残っていますね。
 志智(俊夫)に駆けてもらったのもあるし、準決勝で吉田(敏洋)が目一杯行ってくれて決勝に乗ったというのもあるし。どちらかといえば自分の力でもぎ取ったというよりも、獲らせてもらったなという気持ちの方が全然強かったですね。あんまりそのようなことは思わないけど、その時は思ったのが印象に残っていますね」
 それは一丸が築いてきた財産だ。

「ですから、余計に嬉しかったですよね。優勝を獲った獲り方も、準決勝も勝ち上がりにしても、決勝にしても志智が前で駆けてくれて、後ろで(山内)卓也が露払いをしてくれてみたいな感じだったので、そういうのは嬉しかったですね」
 他の思い出のレースはありますかと聞くと?

「どちらかというと引っ張ってもらって1着を獲ったレースの方が大きいかな。たとえば松戸ダービー決勝3着ですけど、その前の二次予選で松岡(彰洋)さんに赤板前から発進してもらって、勝ち上がっているんですよ。そのレースはすごく嬉しかったな。終わった後に松岡さんが、その前の場所が自分と一緒で全然ダメだったので、今日は絶対行ったろと思っていたというのを聞くと、逆にもう嬉しかったですよね。そういう人が走るものなので、そういう感情的な部分で受けると、なんか自分の力でもぎ取るというよりなんか嬉しいなという気持ちは強いかな。
 でも、自分で前で走った方が面白いですね。色々な作戦を考えて、こうきたらこう動くような、こう動いたらいいよなって、作戦考えるのが楽しいですね。人に任せて、その人がここ、こう動かなければいかんだろうというところで動かないと、やっぱりちょっと「うーーっ」ってなりますが、逆に人の後ろで、(前の人が)今日は絶対に行ったる!みたいな感じ、で行ってもらったときに、ピュッて1着獲ると、それはそれで嬉しいですよね。
 そういう部分が競輪の醍醐味なのかなと思いますよね。自転車が好きとか、僕は感覚的にないんですよ。自分が競技をやってきているわけではないので。でも競輪は大好きですね。昔はそういうのが特に強かったじゃないですか。楽しかったな」
 いま、競輪は少し自転車競技に近づいている。

「そうするとやっぱり競輪に命懸ける醍醐味が薄れちゃうかな。どっちかというと自分の為にどうこうではなく、こいつの為だったらという気持ちの方が強いですからね人間って。後ろ回っていても、こいつが駆けているなら、絶対止めたろとかやっぱりレースでそういう風にできると、まあ自己満足ですけど、楽しいですよね。
 競輪は気持ちがレースに出るじゃないですか。それがすごく楽しいですよね。
 でも、それが一番の競輪の魅力だなというのが、僕ら選手側としては大きんですけど、お客さん的にはそこを求める人もいれば、車券的に買いやすいわかりやすいレースがいいという人もいるので、なかなかその辺りが難しいなと思います」
 現在日本競輪選手会の愛知の支部長を務められている一丸だが、どのような経緯があったのだろうか。

「やっぱり、売上の低下ですね。ふるさとダービーを優勝したときに、獲らしてもらったという感謝の気持ちが強かったもので、競輪業界に対する恩返しを考えるのであれば役職をやってなんとか業界を盛り上げる人生もいいのかなと思って、嫁さんの反対を押し切ってなりました。色々な勉強にもなりました」
 熱い気持ちを語っていただいた。そして今後の目標は?

「難しいですね。やはりいま人生の岐路に立っていると思います。
 また業界のことを考えれば、関係団体が協力しあってできるようになってきましたし、ビジョンを持って競輪界を盛り上げていきたいですね」
 ファンに何を望みます?

「いまの競輪界を見たときには、簡単にPCやスマホで競輪は観られますが、やっぱり本場に足を運んで、テレビのGI決勝戦よりも、生のFII開催を見て欲しいですね。そして、本当の競輪ファンになって欲しいですね」