競輪でいくつものタイトルを獲得し、アテネオリンピックでチームスプリント銀メダルを獲った伏見俊昭。1995年のデビューから早21年。その選手人生の中で、2011年3月11日におこった東日本大震災はそれまでの人生を一変するような大きな出来事だった。あの苦しかった思い出を振り返ってもらうとともに、これからの目標を語ってもらった。
しっかり脚はつけて、レースの中でしっかり自分の役割を果たせるように頑張りたいです
-デビューから20年以上が経ちますが、振り返っていかがでしたか?
「アっという間のような長かったような…けっこう早かったですね。30代がバタバタっと過ぎちゃったような感じはしましたけどね。色々、長い競輪人生ですから、色々ありましたね」
-今年はオリンピックイヤーでしたが、アテネオリンピックの銀メダリストとしてリオオリンピックを見られてどうでしたか?
「ライブでは見れていなかったんですけど、ニュースなどでレースとか新聞で結果などを見た限りでは、海外のレベルがものすごく高いなということと、日本勢のレベルも上がっているんですけど、それと並行して外国勢のレベルがあがっているので、その差が縮まってないなっていう感じは受けました」
-伏見選手が競技をしていた時と比べても今の海外勢のレベルは高いですか?
「自分が競技をやらせてもらっていた時も、やっぱりヨーロッパ勢はすごい、オリンピックに照準を合わせてきていたのもありますし、潜在能力は高いなっていうのは肌で感じていました。自転車競技をやめて、(渡邉)一成君の話を聞く限りでは、タイムもそうですけど、どんどん進化しているっていう感じはありますね」
-日本もレベルアップしていかないといけませんね。
「その練習内容を取り入れた感じでやっているようには聞きましたけど、根本的に何が違うのかなっていう風に考えた時に、彼らは自転車競技として普段のトレーニングから取り組めていると思うんですけど、競輪選手となると試合の合間に練習をしなければいけないので、試合の時はどうしても極端に練習量が落ちるものですから、そういうところが1つの理由だと思うんです。でも、決して日本勢が身体能力で劣っているとは思わないですけどね。新田(祐大)君は海外の選手に匹敵するような強さを国内で見せていますから。やり方によっては、海外勢といい勝負が出来る選手が育つんじゃないかなと思います」
-伏見選手自体、育ててみたいという気持ちはありますか?
「いやー、選手をやっている内は思わないですね(笑)。競輪選手として育てるのではなく、競技者として育てるのなら面白いかなと思います。競輪選手のライバルを育てる気はないですね(笑)。現役をやめて、もしですけど、もしそういうお仕事の機会があるのなら、そんな夢も託してみたいなというのはあります。やっぱり、監督とその選手、他の競技を見ていても一体感があって、一緒になって、スタッフ一同、選手がメダルを獲ってきて、そういう喜びもあるんだなって肌で感じていますから。競技者だけの結果でなく指導者の結果というのは違う喜びはあるんだろうなって、そういうのは考えたりしています」
-競輪の話に戻りますが、大きな出来事の1つに東日本大震災があったと思うのですが…、それ以前とその後はどう違いましたか?
「………出来るものであれば、あの日に戻して……震災をなくしてほしいというのは一番の本音です……。(地震)当初は何も考えられなかったのと、自分のところはまだ津波の被害はなかったので、…大丈夫だったというわけにはいかないんですけど、まだ環境的にはましだったかなと思います。でも、放射能という大きな問題があったので、気が気ではいられなかったのと心休まる時がなかったです…。自分は、5日後に三重の方に避難して、それから、そちらの方で生活するようになったんですけど、どうしても…心ここに在らずで、ずっと福島のことを思いながら生活していました。それまでずっと、十何年間、そこで練習して、そこからレースに行っていたわけで、それがもう違う県でイチからのスタートになると、競輪選手だったので仕事の面は問題なかったんですけど、多少なりの不安や、そういうものはたくさんあり、ちょっとキツかったというか…。自分よりもキツい方はたくさんいるし、起きてしまったことはしょうがないけど、厳しい出来事でしたね」
-相当環境は変わられたんですか?
「そうでしたね。自分の住み慣れた家もそうですし、練習環境もがらりと変わりましたし、生活のリズムというか全てがそうでした。全然、福島と三重では全く違う生活になったので…、その中でもやっていかなきゃいけないわけで、プロである以上は練習を第一に考えて、普段の生活にストレスがないように、そういうのに取り組んではいましたね」
-その中でご結婚もされました。
「生涯の伴侶を得て、待望の第1子にも恵まれて、神様から贈り物をいただいたことは感謝しています」
-さらに競走にも気持ちが入りますね。
「そうですね、子どものためにもうひと花咲かせないといけないなと思っています。こればっかりは自分との勝負なので、妥協せずにコツコツとやっているところです」
-また、今年は熊本地震もありましたが…。
「そのニュースをお風呂に行っていた時に見たんですけど、…なんでこんな短期間の内にこんなに震災があるのかなってやるせない気持ちでしたね…。(東日本大震災では)津波があったので、津波のことをすごく心配していましたが、津波がなかったのはよかったけど、でも、被害にあった方はたくさんいるので、ちょっとやりきれない思いでした…」
-話は変わりますが、伏見選手の今の競輪に対する考えを教えてください。
「自力を捨て切れていない部分があり、迷いがあって中途半端なレースになることがけっこう自分の中でもあるので、そこをしっかりと自力なのか追い込みなのか判断をつけて、追い込みでやるなら追い込みの気持ちをしっかりと持って、技術とか身につけてやっていかなきゃいけないというのが自分の中で思っていることです。かと言って、しっかり自力の脚はつけておいて、レースの中でしっかり自分の役割を果たせるように、そういう選手になりたいなと思ってやっています」
-やはり追い込みになっても、自力の脚は必要ですよね。
「そうですね。追い込みの選手はタテの脚があるからこそ仕事出来るし、最後のゴール勝負で前を交わしたり出来るので、そういう脚はしっかりとつけ、その中で自分のスタイルを築き上げれれば、もっと成績が安定して、上を狙えると思うので。そういうのも神山雄一郎さんといういい見本がいるので、神山さんに話を聞いたりだとか、競りの技術を勉強させてもらったりだとか、ベースのアドバイスをいただいてるので、それをどう活かしていくかは自分次第だと思うので。考えるだけなら誰でも出来るので、レースの中で実行して、やっていきたいと思っています」
-ぜひ、伏見選手にはSSに返り咲いてほしいです。
「そうですね、SSに復帰出来るように頑張りたいですね。年齢のせいにはしたくないので、そこは自分で妥協しないようにですね!47歳でSSの人もいるし、43歳でグランプリを獲った人もいるので、それを考えたら、まだまだだと思うので」
-今の目標は?
「常にですけど、目の前のレースをしっかり頑張って走ることですね」
-最近の練習は?
「三重で、岩見(潤)さんにバイクで誘導してもらったりとか、若手ともがいたりしていますね」
-では、最後にファンの方々にメッセージをどうぞ。
「昨年に比べると、今年はマシになってきたと思うんですけど、グレードレースでは全然結果も残せていないですけど、コツコツとしっかりFIから1着が取れるように、これからも頑張っていきますので、今後も応援よろしくお願いします!」