あの中野浩一氏の弟子だった紫原選手。
超一流の選手たちの中で練習できたことが大きく自身を変えたと言う。
師匠の中野浩一氏の人脈が彼を育てたのだ。
しかし、眠れなかったこともあった。賞金ランキング6位で迎えた2008年の全日本選抜競輪。初日の敗退がグランプリ出場に向けた流れを大きく変えてしまったのだった。
年齢を見ると48ですが、気持ちでは全く思っていません。
-選手になろうと思った切っかけはどのようなことでしたか?
中野浩一さんが世界でV6かV7か、それくらいの時だったと思うんです。中野さんが、自分の高校の陸上部の先輩でもあったので、2年生の時と3年生の時のインターハイの激励会に来てくれまして。その時にお話しを伺って、競輪選手になりたいなと思いましたね。
-師匠である中野氏への憧れが選手になることへの後押しになったということですか。
そうですね。
-中野氏はどのような師匠でしたか?
なんていうかな、色々練習したりするのはアマチュアの頃はなかったです。全然放任でしたね。久留米のバンクで会ったら、独走やれとか1000mとかやらされた程度で、ほとんど一緒に練習したことはないですね。
-中野氏から聞いたエピソードだと競輪学校のときに、帰省で帰ろうとした紫原さんを引き止めて一緒に合宿したとお聞きしましたが。
そうですね。1週間ぐらい合宿して帰りましたね。
-その時はどのように感じましたか?
自分も一緒にしたかったんですよ。メンバーが凄くて。だからもうすぐお願いしますと言ってやっていました。当時のS班のメンバーがそこの合宿に沢山いたんですよ。そのようなメンバーに新人の顔なんて覚えてもらうこともないじゃないですか。そこには、松本整さん、和田誠吾さん、久留米の平田崇昭さんとか江嶋康光さんとかいっぱいいたんですよ。場違いなんですけど、このクラスの人達と走りたいなと思ったんです。いきなりそういうところに入れたので、デビューした頃からそこにいるのが当たり前みたいな気持ちでしたね。それが一番良かったかなと思いますね。そこにいるのが普通の感じになったんですよね。自分がアマチュアで周りがS1の人や特別競輪に出場する人がいっぱいいて、そこで走ることで、その中に自分がいることが当たり前になったんですよね。
2年ちょっとでその場に行けるようになった時には、もう、まさか自分がそこまで強くなるとは思っていなかったんですけど。
学校では弱かったんで。学校では63位ぐらいだったですもんね。
-61期ってどのような期でした?
神山雄一郎が、競輪も強いし勉強も良かったですね。あれから今でも一番ですからね。ずっとすごいですね神山は。61期イコール神山じゃないですか。
-神山さんは、紫原さんが頑張っていたから励みになったと言っていましたが。
俺はねそのときはそんな目立った存在じゃなかったですから。山田裕仁も目立ってなかったんですよ。その二人が61期ですから。
自分が二人よりも一つ上なんで、紫原さーんって山田も神山も来るじゃないですか。でも俺からしたら、あの二人が頑張っているから。というか少しでも近づきたいというか、その一心だけでここまでやってきた感じですね。
-デビューからS級に上がるまでは順調でしたか?
順調でしたね。2年目からS級に上がれたので。
なんか新人リーグを走っていきなり優勝してから、ガラっと変わりました。「やれる」と思ってから、勢いでS級に上がって、S1まで順調に上がったんですよね。
-ひとつの優勝が気持ちを大きく変えてくれたんですね。
そうですね、競輪学校では63位で、学校では全然勝てなかったんですよ。でもデビューしていきなり優勝して。新人リーグのときに3回ぐらい優勝したんですよね。それでA1格付けになって。本当に調子に乗って、そのまま行きましたね。
-さて、いままでに印象に残っているレースはありますでしょうか?
いろいろありますが、大垣記念の準決勝で、中野さんと初めて走ったときは、緊張して体が動かなかったですね。まあ、お互い飛んだんですけど。中野さんも4着か5着だったんですけど。自分は7着ぐらいで、先行できずに終わりましたそのときは。
-それはデビューしてからどれくらい後のことでしたのでしょうか?
デビューしてから4年か5年ぐらいあとのことですね。中野さんの引退の前の年か、その前ぐらいだと思います。
-前の晩からとか緊張されました?
そこはちょっと覚えてないですけど、レースでは緊張したのは覚えています。先行できずに。普段はあまり緊張しないんですけど、中野さんと走ったのは2回だけなんですけど、両方とも覚えていますね。役に立てなかったのがちょっと残念でした。
-それ以外のレースはありますか?
新人王のレースとか、グランプリに乗れなかった最後のあたりの4日間なんかは鮮明に覚えていますね。全日本選抜(2008年12月)の西武園のレースは4日間鮮明に覚えていますね。
-そのときの心境は?
自分が勝ち上がっていればよかったんだけど、初日ダメだったから。そのあと1着、2着、3着で。その3日間の戦いは覚えていますね。あのときは40歳ぐらいだったですかね。あの開催中は寝れないような感じだったですね。
-嬉しかったことで覚えているレースは?
ずいぶん前のことになりますが、立川記念(2008年1月)で優勝した時です。10年ぶりぐらいの記念競輪優勝でしたね。もう獲れないかなって思ってましたから。
-紫原さんのレースに対するモチベーションはどのようなことでしょうか。
やっている限りはなるべく上で走りたいなということですかね。もう一度優勝したいなと今でも思うので。いまはなかなか勝てませんがFIでも優勝したいと思うことですね。
頑張るのは普通ですからね。好きでやっていることなので、どうせやるならなるべく上でという気持ちを辞めるまで持ちたいなと思っています。なんだこのオッサンと言われるまでやりたいですね。年齢を見ると48ですけど、気持ちの中は全然、年齢は思っていないですね。
-ファンにメッセージをお願いします。
また、もう一度S級で優勝できるように頑張りたいと思いますので、これからも声援をよろしくお願いします。