競輪学校物語

インラインスケートで、国内だけでなく世界でも活躍をしていた山本紳貴。そこで師匠である和泉田喜一(千葉・59期)に出会い、インラインスケートを引退後に競輪選手を目指した。しかし、そこからは決して楽な道ではなかった…。
そして、競輪学校入学前に、共にインラインスケートの世界で戦ってきた奈知と結婚。
新たな環境で自転車に打ち込む山本、インラインスケート時代に培ったメンタルの強さで乗り越えてくれることだろう。
今は、とにかく自転車に乗ることが大事な時期だと思います
-今までのスポーツ歴を教えてください。
「小学5年生からインラインスケートのスピード競技をやっていました」
-そこから競輪を知ったきっかけは?
「その競技をやっていた頃に師匠(和泉田喜一・千葉・59期)と出会って、色々と話すことがあって、そこからちょっと興味があって、それでインラインスケートを引退したら、目指したいなって気持ちが出てきました」
-自転車歴はどのくらいになるんですか?
「2011年1月まで前の競技をやっていまして、それで、春くらいから師匠と練習をさせてもらっています」
-インラインスケート時代の成績を見ると、長距離系が主だったんですか?
「そうですね、日本ではどっちも(短距離、長距離)勝てたんですけども、メインでやっていたのは長距離でした」
-では、競輪は短距離系で、切り替えは大変だったんじゃないですか?
「それはすごくありました。ひたすら長く維持するような、一本出し切るみたいな走りは出来ないというか、身体が対応出来ないような感じでしたね」
-今の競輪学校に入ってからの生活はどうですか?
「今は乗り込みがメインなので、得意というわけではないんですけど、どちらかと言えば短い距離を走るよりは出来ると思うので、なんとか食らいついていっています」
-生活面には慣れましたか?
「………はい」
-少し間がありましたが(笑)。
「いや、でも、精一杯いい子にしています(笑)」
-競輪学校に入る直前に山本奈知(千葉・106期)選手と結婚されたんですか?
「そうですね」
-奥様から競輪学校へのアドバイスはありましたか?
「いえ、全然…でもないですね。『どこいっても大丈夫でしょ』って言われて、あとは、生活面のことは、僕がだらしないことを知っているんで(笑)、『これは気をつけた方がいいよ』とか言われましたけど。競輪学校では、訓練は厳しいですけど、他は楽しくやれています」
-今の課題は何ですか?
「全部じゃないですか。何をしたら速くなるかとか、まだ悩むレベルじゃないので、とにかく自転車に乗ることが大事ですね」
-では、最後にファンにメッセージをどうぞ。
「デビューして、師匠と一緒に走れるようになりたいので、師匠みたいに先行して、上にあがれるように頑張りたいと思います!」