競輪学校物語


太田りゆ生徒(112回生・埼玉・22歳)
2月6日~10日までの5日間に渡り、インド・ニューデリーで開催された2017アジア自転車競技選手権トラックレース。トラック競技のアジアチャンピオンを決めるこの大会に、日本ナショナルチームの一員として競輪学校生の太田りゆ生徒が出場しました。
競輪学校には適性で入学し、自転車競技の経験がない太田生徒にとって、このアジア選手権が初めての競技大会参加となりましたが、チームスプリント3位、500mタイムトライアル6位、スプリント4位、ケイリン8位という成績を残しました。
今回のアジア選手権について、太田生徒に振り返ってもらいました。
-まず初めての競技大会参戦となったアジア選手権を終えて、
今の率直な気持ちは?

女子チームスプリント。1走・太田、2走・前田佳代乃
「競技大会も、海外に行くこと自体も初めてだったんですけど、すごくいい経験になったなと感じています」
-大会を振り返って、初日のチームスプリントでは1走を務め、
35秒032で3位。銅メダル獲得となりました。

女子チームスプリントで銅メダル獲得
「タイムとしては35秒台は確実に出して、できれば34秒台を狙いたいっていうところで考えてはいたんですけど、もうちょっとでしたね。私がもっとちゃんとうまく(スタートで)出られるようになれば、(34秒台は)可能なタイムなのかなとは思いました」
-2日目の500mタイムトライアルは36秒680で6位。
このタイムはどうですか?

女子500mタイムトライアルを走る太田
「500mはもともとそんなに得意ではないですけど、でも全然ベストタイムよりも遅くて。いつもは35秒前半でちゃんと走っているので、なんでこんなに遅かったんだろうっていう感じで…。でも、まだ2日目だったし、もう気持ちを切り替えていくしかないって感じでしたね」
-3日目からはスプリントが始まって、まず予選のハロンは11秒552で7位からのスタートとなりました。

女子スプリント1/2決勝でリ・ケイシと対戦
「ベストタイムではあるんですけど、実はちょっと言いづらいんですけどゴール線を間違えてしまったんです。もうちょっと先なのに、ホーム線でゴールしてしまって…。でも、その中での11秒5だったので、すごく手応えはあったし、もっともっと出せるなとは思いました」


-次の1/8決勝はイランの選手に勝利し、1/4決勝に駒を進めましたが、ここでの対戦相手は前田佳代乃選手。長く日本女子短距離のトップに立つ選手ですが、なんとその前田選手をストレートで破りました。
「1本目は私が前からのスタートだったんですけど、最終ラップで前田さんに前を取られてしまって。結構車間が開いちゃったんですけど、なんとか最後に差せたっていう感じでした。2本目は私が後ろからだったんですけど、基本的に後ろから捲れる相手ではないと思ったので、スタートしてすぐに前を取りました。最終ラップに入ったときに前田さんが上に上がった瞬間を見計らって、全開でラスト1周を走って逃げ切りました」
-準決勝となる1/2決勝に進みましたが、対戦相手は昨年ガールズケイリンにも参戦したリ・ケイシ選手(ホンコンチャイナ)。世界のトップスプリンターを相手にストレートで敗れましたが、さすがにここは厳しかった?
「厳しいだろうなとは思ったんですけど、でも対戦したこともないし、勝てる可能性だってあるかもしれないと思って、楽しみな気持ちでスタートしました。結果、2本ともストレートで負けましたけど、横を通り過ぎるスピードだったり、前を走っているスピードとかを感じる限りでは、決して無理ではないし、すごく遠い存在というわけではないなとは思いました。でも、やっぱり技術面で私のほうが全然劣っているなと感じました」
-3-4位決定戦はやはり強豪のリ・ヘジン選手(韓国)に敗れ、惜しくもメダル獲得は逃し4位となりましたが、スプリントは普段練習する機会などもほとんどなかったのでは?
「スプリントの練習はしていないですね、本当に初めて大会でやったという感じでした。(ブノア・ヴェトゥコーチからは)『りゆの好きにやっていい』と。私はゆっくり走ったり、ステイ(止まる)っていう動作はできないので、ステイされたら行けばいいし、やりたいようにやればいいと言われた結果、こんな感じになりました(笑)。映像とかもいっぱい見せてもらったんですけど、私は基本的にあんまり考えちゃうとダメなので、考えるな、感じろって感じで(笑)。その場その場で、感じたように、自分がやりたいようにやっただけでした」
-5日目のケイリンは1回戦3着、敗者復活戦1着、2回戦4着、7-12位決定戦2着、最終的に8位という結果になりました。
「4本走らせてもらいましたけど、全部私が動かしたレースだったというか、全部私が先行したので。ブノアコーチやジェイソン(・ニブレット)コーチは『慌てるな、後ろで様子を見てラスト1周で行きなさい』っていう感じだったんですけど、私が指示を全然聞けず(笑)。やっぱりスプリントで4位になっちゃったので、上位の選手が私の後ろについて動かないんですよ。前にいる選手も全員が私の動きを見ている状況で、だからどうしても動かざるを得ないというか。こっちもそれならもう逃げるしかないと、もう行っちゃえという感じで後悔しないように行くだけでしたけど。ただ、次はもう少し落ち着いて展開を見てやりたいですね」
-準決勝の2回戦は特に惜しかったですね。あと一歩で決勝進出でした。
「そうですね。マレーシアの選手と写真判定になって、本当にどっちがどうかわからないような感じだったんですけど、(結果4着で)負けたかっていう。自分としては決勝にも乗れずに8位だったので、全然ダメだったなとは思うんですけど、その中でも後悔するレースはしなかったので、次に繋がるレースにはなったかなと思います」
-アジアのトップレベルの大会を経験し、今後の競技活動に対してどんな思いが湧きましたか。
「東京オリンピックに出たいなって、今すごく思っています」
-それはやはりヴェトゥコーチの指導を受けていることも影響している?
「そうですね。(ブノア教場は)自分にまた違う目標とか、高い目標をすごく与えてくれた場所かなと思います」
-競輪と競技の両立は難しい部分もあるとは思いますが、これからに向けての意気込みを聞かせてください。
「アジア選手権から帰ってきて、1ヶ月振りに競走訓練を走ったんですけど、今まで調子が良い悪いっていうのはあまりなかったのに、どうも調子が良くないなっていう感じがあって。やっぱり競輪と競技の両立は難しいんだなと実感するところなんですけど、でも競輪学校にいる間にこれを知れて良かったなと思っています。調子が良くない中でもどうやって競輪をやっていくのかとか、学校にいる間にも勉強していきながら。調子が悪くても勝てるようになっていかないと、世界では戦えないだろうとも思うし、頑張ります」