バンクのつぶやき



 前回は、「日刊ゲンダイ」に掲載された「紋次郎・ギャンブル雑記帳」という記事を引用し、映画「木枯し紋次郎」で知られ、現在はNHKの朝のドラマに出演中の俳優・中村敦夫氏のギャンブル紀行と、「作家・僧侶・スポーツ評論家」として知られた寺内大吉和尚のことなどを書かせてもらった。
 30~40年も前のことなので、当時のテレビ解説の様子を知らないファンも多いだろう。しかし、雑記帳の記事の中に「作家の中には競輪を楽しむ人は大勢いるし、競輪は人間社会の縮図だ」という中村氏の言葉や、寺内和尚のテレビ解説のことなどを書き終えた後、いろいろ記録を整理した。
 その中から最初に紹介するのは6月21日に岸和田競輪場で行われた「第66回高松宮記念杯競輪(GI)」で優勝した武田豊樹選手の表彰式だった(左下の写真)。ここでは、今は亡き寬仁親王殿下のご息女・彬子(あきこ)女王殿下が優勝カップを授与。武田選手は深々と頭を下げて受賞した。


 優勝した武田がスピードスケートの選手だったことはよく知られているが、1999(平成11)年9月、兵庫県で開かれた「第30回全日本実業団自転車競技大会」では1000メートルタイムトライアルに出場した武田が1分7秒174で優勝した。彼はこれに自信を得て競輪に転向したに違いあるまい。そんなことを思うと、私たちの周辺にはいろんなスポーツをしている人の中に「競輪向き」の選手も大勢いるはずであり、改めてそうした人材を探してみたいと思った。
 次は、近畿地方では名高い生駒山の近くにある大阪府八尾市の「天台院」という寺と、50~60年前に同寺の住職をされていた今東光(こん・とうこう)という和尚さんの話だ(中央と右の写真)。戦前からこのあたりは「河内音頭」などで知られた所だが、東光和尚が執筆した小説などで「河内」は大変有名になり、競輪に対しても深い理解を示しテレビ解説もされたという。その後は国会議員や中尊寺の大僧正に栄進。東光坊春聴大和尚と名乗り、作家であり、尼僧でもある瀬戸内晴美氏に「寂聴」という名を付けられたのも春聴大和尚だったと聞いたように記憶する。
 残念ながら東光和尚の解説写真を私は持っていないが、昭和40年代から本格的な解説者になったのが前述の寺内大吉和尚だった。この後、関係団体の書物から探し出した写真を何点が掲載するが、変色した紙面から抜粋したのでかなり見にくいことをお断りしておきたい。

 左上の写真(1987=昭和62年の高松宮杯)は、右から中村敦夫、寺内大吉和尚、22期生の福島正幸OBら各氏の解説場面で、中野浩一、井上茂徳、滝澤正光選手らの全盛期の競輪を淡々と語り、中央の写真(1965=昭和40年の競輪祭)は、右から将棋の木村義雄名人、競輪の創設に貢献した倉茂貞雄、評論家・御手洗辰雄の各氏。そして、右端の写真(1966=昭和41年の秩父宮妃杯=西武園競輪場)は右から映画監督の五所平之助、脚本家、映画監督として世界各地に知られた橋本忍の各氏(左端はアナウンサー)。
 こうした人たちがどのような形で競輪に接し、競輪の将来を楽しみにされたか分からないが、1963(昭和38)年の一宮ダービーで民放がテレビで初中継して以来、大勢の著名人が競輪に関わられた事実は競輪の大切な歴史でもある。
 では、女性も解説などに加わったのかーということになるが、左下の写真は1969(昭和44)年の高松宮杯(当時の正式名称=高松宮賜杯競輪)で撮影された画像で、右から2人目が女優の宮城千賀子さん。そして右側の写真は2年後の昭和46年の高松宮杯で語る女優の山本陽子さん(右端)だ。

 今回はいずれも遠い昔話で恐縮だが、私は今年、競輪の仕事に就いて50年になり、この7月には80歳になって少し物忘れも出始めた。従って、いつか筆を置くことになるだろうが、まだまだ書き残さなければならない資料が山のようにあり、もう少しの間、ご辛抱願いたいと思う。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 79歳 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。