「好きな選手なんていらないよ。むしろ、特定の選手を好きになっちゃいけないよ」。私が記者になったばかりの頃、先輩記者が言っていた台詞だ。その先輩は競輪も車券も好きな様子ではあったけど車券は全く買っていなかった。「あの人はもう家、一軒買えるくらいヤラれてるの。だから車券買うのキッパリやめたの」と他の先輩記者が教えてくれた。きっと好きな選手を追っかけすぎて車券で損をしたのだろう。
競輪を見続けて、車券を買い続けて23年。スポーツ新聞社に新卒で入社してまったく縁がなかった競輪担当になってから私の車券人生は始まった。
競輪に限らず、公営競技一般で儲けるためには「好きな選手を作ってはいけない」と言われる。競輪、ボート、オートなら選手、競馬なら馬や騎手だ。好きな選手が出ているレースは冷静な判断ができないからというもっともな理由である。
その選手を初めて見たのは卒業記念レース。在校2位と成績優秀ではあったがその期は他に話題の選手がいたので彼はそれほど注目の存在ではなかった。なのに気になったのは同期生たちが「アイツは天才」と言っていたからだ。朝は一番遅くに起きてくる、がむしゃらに練習する風でもなくいつもクールに涼しい表情のポーカーフェイス。だけど競走で強い。周囲は彼をそう見ていたらしい(きっと人の見てないところで努力していたんだろうけど)
デビューしてからも天才ぶりを存分に発揮していた。とんとん拍子にS級に上がりあっという間にGIIを制覇。彼は確かその時は大一番の直後で体調も崩していたし、さらに同期の結婚式等で忙しくて練習も休養もできなかったとか言っていた記憶がある。なのに当時のNo.1選手相手にあっさり優勝したのである。しかもこれが彼にとってのS級初優勝。私は彼から目が離せなくなってしまっていた。
そしてその約1年後。彼はGIの決勝戦に初めて乗った。私は彼が準決勝を突破した時から彼が優勝すると確信していた。根拠? だって彼は天才なのだから、初めて乗ったGIの決勝で優勝するに決まっている。いやしなければならないと勝手に思い込んでいた。実はその年の始めに記者仲間と雑談していた時「私、○○選手は今年グランプリに出ると思う」とすでに言っていたのだ。その彼が満を持してその年の最後のGIで決勝に進んだのである。
決勝は彼にとって最悪とは言わないけどそんなにいい展開ではなかった。目標は地元のスターで当時の輪界の最強選手。先行ならともかくまくりなら差せる選手なんていないというほどの強さを誇っていた。その最強選手がなんと単騎逃げの選手の後ろにハマり、番手まくりの展開になったのだ。もうほとんどの観衆が最強選手の優勝を最終4角で確信していたはずだ。しかし、彼の腕はゴール前で恐ろしいほど伸びた。そして最強選手をわずかに捕らえて優勝した。
私の買った車券は彼が最強選手を差す1点のみ(当時、3連単はまだ発売されていなかった)。この上ない喜びだった。そして年頭の発言を覚えていてくれた記者仲間が「すごいね、やったね」と祝福してくれた。
今でもGIの決勝戦直前に車券検討をしているとこのレースを思い出す。もちろん儲かったこともうれしいが、それ以上に心を震わせてくれる選手が大舞台で走っているということが喜びだ。好きな選手ができたらギャンブラー失格、と言われるなら失格で構わない。儲け度外視で好きな選手から車券を買う喜びがあってもいい。
彼は今もS級トップレーサーだ。年齢も重ね、さすがにGI決勝進出は難しくなっているがそれでも彼がまたGIの決勝に乗ったらきっと買ってしまうだろう。そして彼以上に私をワクワクさせてくれる選手の出現を日々、願っている。
彼って誰のことかわかんない…ですよね?ね? レースも名前も伏せてありますからね。
競輪担当になって競輪を覚えた頃は他にこれといった趣味もなく「これで年寄りになっても楽しめる趣味ができた」と喜んだ。しかし、その時はまさか50場あった競輪場が43場になるとかさらに減りそうだなんて夢にも思わなかった。