インタビュー

『ケイリン・フラッシュ』というラジオ番組を覚えている人は、まだいるのだろうか。
1991年10月に始まり、10年半続いたラジオ短波(現ラジオ日経)の競輪情報番組だ。
この年の4月頃、番組のパーソナリティーとして出てみませんかという話が舞い込んだ。ひとりは決まっていたのだが、1年365日休まず放送するのでもうひとり欲しいのだという。条件は「競輪に詳しいこと」その時私が競輪で知っていることといえば中野浩一の名前だけ。絶望的。「んー、でも半年あればなんとかなるんじゃないか?」根が楽観的なもんでね。かくして勉強のための競輪場通いが始まった。
6月。前年デビューした65期の吉岡稔真が取手記念競輪に出走するという。これは競輪場に見に行かねばなるまい。噂によれば「べらぼうに強い」「桁違い」「他の選手が止まって見える」だって。今のように手軽にレースやダイジェストを見ることができなかったので、まだ見ぬ新星の走りっぷりを思い描いて前の日からワクワクしたものさ。
順当に決勝に乗ってきた吉岡稔真。付けるのは遠征ラインで岡山の松枝義幸。吉岡-松枝で一番人気。対するは当時自在型で安定感抜群の鈴木誠。ここには地元の長谷部純也が付ける。このラインもひと桁台のオッズで人気になっていた。私はというと、前日まであれだけ吉岡にトキメイテいたのにいざ現場では「実績重視!鈴木誠が上手くレースを作って若手を完封するぜ。後ろは地元だしな」昔から勘が悪かったよ。
ここからは私個人の印象ですので、実際のレースとは違ってるかもしれません。打鐘前で吉岡を押さえた鈴木誠はホームから一周先行。8番手におかれた吉岡は4コーナーくらいからかますと、1センター過ぎで前団をすべて呑みこみひとり旅。いや、松枝が影のようにぴったり後ろに付いてたけど。ゴール前も差す気配はいっさいなし!他の7選手は半周遅れてゴールだ。ですから個人の印象ですって。ホントはそんなに離れてないと思いますよ。「他の選手が止まって見える」なんて大げさな表現だろうと、それまでは思っていた。自分自身初めて体験した。噂は本当だったのだ。
競輪場から取手駅までの坂道をトボトボ歩きながら「車券は取れなかったけど、すごいレースをみたから悔しくないぞ」と自分に言い聞かせてたな。
7月。久留米競輪場での全日本選抜競輪決勝。先行した滝澤正光に付ける鈴木誠は、猛然と捲くってくる吉岡稔真を2コーナーで強烈なブロックで止め優勝する。「取手で吉岡のスピードを経験したからこそできるブロックだな」なんてひとりで思ってたものさ。
その時は吉岡から買ってたんだけどな。