インタビュー

平成5年9月28日。
この日はやってきた。神山雄一郎、涙のGI初制覇だ。選手になって人前で泣いたのは初めて。まさに男泣きだった。しかしこの日がくるまで本当に長かった。神山雄一郎はタイトルを取るまで6年もかかってしまっていた。
アマチュア時代からエリート街道を突き進んできた神山は競輪学校時代は技能・学業共に優秀な優等生。競走訓練では110勝を挙げて在校第1位。卒業記念も完全V。デビュー後も競輪祭新人王に輝くなど、誰もがGIタイトル獲得は時間の問題だろうと、競輪界に出現したニューヒーローの誕生に喜んでいたのである。
神山は新人王を取った翌年3月の日本選手権に初めてGIレースに乗り決勝まで勝ち進んだ。決勝メンバーは中野浩一に坂本勉、俵信之の北日本。この時ルーキー神山に本命を付けた新聞も多く神山自身もタイトルを意識しただろう。しかし世の中はそんなに甘くはなかった。ここでVを逃した神山は、それから3年間タイトルから見放されたのである。そんななか競輪界の注目はデビュー後あっさりGIタイトルを取った吉岡稔真に移っていた。運とかもあるのだろうが、それだけ強くてもノンタイトルで終わっている選手も多いように、ファンも口々に「どうした神山」「このまま神山は終わってしまうのか。」と言いはじめていた。
(でも今思うとあっさりタイトルを獲らなかったから今の神山があるように思うんだけどね。)
人一倍練習もするし自転車が大好きな神山は日々コツコツと努力を重ね平成5年7月の「ふるさとダービー函館」で優勝を飾った。神山にとってこのレースが転機だったのではないかなぁと思う。タイトルは自分の力で奪いとるというプロとしての覚悟がこのレースで出来たのかなぁと感じました。
そうなるともう時間の問題。この年のオールスターは地元ホームバンクの宇都宮競輪場。誰よりもバンクを走って知り尽くしたバンク。そう舞台は整ったのである。もちろんファンに選出されてドリームレースからのスタート。1走目ドリームレースは2着。2次予選は逃げ切りで1着。準決勝もどうにか3着と地元で決勝の晴れ舞台に乗った。こうなるともう神山に迷いはない。
この時の作戦は、あせらずあわてずじっくり脚をためて最後の最後に仕掛けるだった。
決勝メンバーは4車が揃った神奈川勢に、三重の海田和裕に近畿コンビの松本整と金田健一郎。神山には俵信之という並びだった。神奈川カルテットは出口眞浩が先頭を走り番手は高木隆弘そして山田英伸、佐々木龍也の並び。どうみても出口の番手から高木が出ていく走りになるだろう。予想通り出口の先行で7番手にいた海田が神山より先に動く。あわせて番手からは早くも高木が番手捲り。
その時、最後の最後に動くという神山に出番はやってきた。神山がタイミングよく仕掛けて鮮やかに直線ゴールデンルートを突きぬけた!
私もファンも「神山いけー」と金網を握ったのをよく覚えている。
優勝インタビューで今まで支えてくれた仲間、ファンの声援、そしていつも応援してくれた同期への感謝の言葉を涙で述べたのがとても印象的でした。
今や800勝を超える勝星をあげる競輪界のレジェンド神山雄一郎の原点がここにあると僕は思っています。伝説の始まりの一戦ですね。
追伸 私の原点、デビュー作の「の・ようなもの」の続編が35年ぶりに全国松竹系の劇場で公開中。「の・ようなもの ようなもの」松山ケンイチ君・北川景子さんと共演してます。是非皆さんご覧になってください。見終わったあとスッキリする気持ちのいい映画です!!