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『素質がある』
しかしそれを開花させることの難しさは誰もが悩まされることなんですよね。努力しても努力しても結果に繋がらない。たいした努力もしてないのにきっちり結果として出す。どちらのパターンでも悩むことになるんです。一生懸命努力しても結果に繋がらないから悩んで悩んで努力する。たいした努力もしてないのに結果を出せてる人は、一度調子を崩すとどのように戻して良いかわからず必ず悩む時が来る。同じ悩みでも前者の方が人数が多い気がするし、悩み解決の方法が見えるような気がします。

弟子を取るということは、その人の人生を預かるという重大な事だと思い弟子は取らない主義でした。だって学校合格させてあげれるかどうかで、その人の人生が変わってしまうんですよ。私は、弟子を取るとはそれぐらい重く受け取っていましたが、たいした指導もしないで軽い気持ちで弟子を取ってる人が多い気がして恐ろしいです。

そんな私も見るに見かねて練習をみることに(弟子にしたわけでは無いんですが)した人がいました。一人目は、競輪学校に何度も何度も受験しては落ちを繰り返して結局受からずに「お世話になりました」と競輪場に挨拶に来た人です。私は、せっかくここまで頑張ってきたし、受かるはずだと思い本当に選手諦めていいのかきいてみました。「選手を諦めたくないという気持ちが少しでもあるなら俺が面倒みるから両親と話し合ってきなさい」。だってそうでしょ、4年近くも人生棒に振った形になるだけじゃなく、ラスト1回と言っても次回の試験までは半年近くあるわけで、両親の協力無くしては面倒をみれないわけで…。
次の日両親を連れてお願いに来てくれたので、自宅に泊まり込みで練習させワンチャンスをものにさせました。このアマチュアには試験本番までの調整方法とウォーミングアップの仕方を中心に教えました。私にはどうして今まで何度も落ちてたのか不思議でした…。実力があったのですが発揮する方法を知らなかったのです。

二人目は、もう現役引退しましたが北海道の斉藤正剛選手(2012年引退)。彼は、競輪知ってる人ならスーパースターってご存知ですよね。そりゃぁ素質は凄かったです。若い頃から真剣に競輪に向き合ってこれる環境だったらタイトルの一つや二つ、いや、時代を築いていたかもしれないぐらい素質はありました。そんな彼もFIでも勝てない状態の時に、平塚で冬季移動して練習していました。そんな真面目な部分もある選手だからついついまた私のお節介が出てしまいました。「マサ、このまま弱くなりたくないなら騙されたと思って一度大垣に来い」。すると即、大垣にアパートを借りて練習するようになりました。斉藤選手には、北海道では街道中心の練習でしょうから街道練習の方法を中心に教えたんです。すると覚えてますか?2009年の競輪祭。4日間6番車で大活躍。決勝では6着でしたが、初日、準決勝の復活捲り!(本人は「グリーンのキセキ」名付けてました)お客様のあの盛り上がりと本人の喜ぶ姿を見て私はこっそり涙しました。

そして三人目は、志智俊夫選手。志智選手には爆発力の強化をテーマに練習させました。そしたら。記念優勝するまで復活しましたね。

なぜ自分で出来ない?どうすればいい?
超一流を目指すには『聞く勇気を』持つことが重要だと思います!
山田裕仁(61期 岐阜)
 1968年昭和43年6月18日岐阜県47歳 GI6勝 KEIRINグランプリを3回制覇
 その強さに「帝王」と呼ばれた 61期で同期は神山雄一郎
 2014年3月に日本選手権競輪を最後に引退し現在は競輪評論家として活躍中