インタビュー

競輪界の怪物、みなさん知っていらっしゃいますか? そうです今では競輪学校の校長先生になられた、あの瀧澤正光さんです。
私が競輪の世界に入り込んだのは24歳のときでした。まるで競輪のルールも知らず、なぜ一列に走っているのかわからず、何もかもわからずじまいのことばかりでした。
ちょうどその頃先輩方から、『綿貫 競輪界に怪物がいるんだぜ!』と教えられました。
怪物とは何ぞやと思っていると、専門新聞には近況12場所の成績が書いてあるのです。それを見てハッキリとわかりました。なんと1着の数字がずらりとならんでいるんです。
ほんとうに!負けたことが無いんですよね! そんな選手がいるのかとビックリしたことを覚えています。 当時、場外発売などほとんど無く今のようにレース情報を簡単に見ることができない時代でした。生の瀧澤正光の走りを見ることができたのは確か東日本発祥記念の大宮競輪場だったと思います。 場内は2万人を超える入場者 大歓声の中 私にとってはあのレーサー瀧澤正光を見るチャンスがやってきたんです。もちろん一番人気。敢闘門を出てバンクに登場です。「な、なんて大きい身体と黒光りしている太ももなんだろう!」と 一人だけ自転車が小さく見えたのを覚えています。とにかく瀧澤正光だけが別格なんですよ!
場内のファンから相次いでかかる声。
「瀧澤頼むぞ! オマエが頼りだ!」
「走る銀行員!」
「怪物瀧澤先生!」
絶大なる人気。まさにファンにとっても競輪界にとっても神なんですね。
レースが始まりました。 大宮バンクは1周500mの長走路 先行泣かせのバンクでも有名な競輪場 他の選手も瀧澤正光の強さはもちろん承知、彼の後ろを回れば限りなく良い着が取れるわけですから…。 したがって瀧澤正光の後ろは横に揺れる激しい戦いが待っているのです。当時名マーカーと言われた 東京の山口健治もフラワーラインを主張してマークするも、そこをヨコどってしまおうとする選手も現れる激しい戦いもありました。 ただでさえ無風で後ろを回っても最終の4コーナー、後ろを千切ってしまう怪物瀧澤正光。 先行している瀧澤正光の風を切る音は他の選手とはまったく違う、まるでオートバイが風を切るような豪快な走りでした。
あれだけ連勝できる選手が、これから生まれるかはわかりませんが、彼が校長の競輪学校なら、違った形でも個性ある選手が出てくることを期待したいと思います…。
                                                                    競輪バンザイ!
本文中、一部敬称略しました。