最近は車券を買うのが随分と便利になった。反面競輪場へ行く機会が随分と少なくなった。ここ数年はインターネット投票で楽しんでいたが、どうも熱がはいらない。車券を握りしめ金網越しに声をからした時代が懐かしい。
昭和40年代の初めの後楽園競輪場。三重の須田一二三が圧倒的な一番入気、須田の後位巡り激しいマーク戦が続く、残り1周で競りを嫌った埼玉の板羽選手(と記憶している)が正攻法の須田の横に並んだ。不意を突かれた須田が走略を外れて芝生まで飛んでしまった。悲鳴と怒号で場内騒然!何しろ隣の巨人・阪神戦より入場者が多い時代だから凄まじい音量だ。須田がゴトゴトと芝生を走って2コーナーで走略にもどった、集団はすでに3コ一ナーだ!猛然とスパートした須田、何とか4コーナーで集団に追いつく、直線は何とゴボー抜きで1着ゴール!当時はA1班からA5班の対戦で力の差があったとは言え大歓声が須田一二三を鬼神に変えた瞬間だった。
第19回前橋オールスター競輪は新たな時代を予感させる大会だった。話題の中心は超大型新人菅田順和VS九州のはやぶさ中野浩一の夢の対戦だ。またハイセイコーと称された青森の岩崎誠一や当時のミスター競輪宮城の阿部道。神奈川の藤巻昇、清志兄弟も優勝候補の一角だ。迎え撃つ地元群馬勢も福島正幸、田中博を筆頭に強豪が目白押し。注目のドリームレース、勝負所で前段に付けていた中野が抑えられ車を下げていく、しかし誰も入れてくれない、あく落車転倒と最悪の結果。後に中野浩一さんは味方のマーク選手が一人でもいたら結果は違ったと話してくれた。レースは菅田が快な捲りで快勝した。
決勝戦は藤巻兄弟の強固な絆を見せつける一戦になった。兄の藤巻昇は位置取りの厳しさと強烈な捲りで当代一二の実力者。何故かタイトルには縁がなかった。前年にタイトルを取っている弟清志が当然兄を引っ張ると予想された。ところがレースは逆の展開、昇が逃げる。清志は兄との車間をける。捲ってくる選手をブロック、空いた内を突かれるとインを締める、凄まじい迫力に誰も前に出られない、いや出さない兄のガード役に徹しながら清志の2着も立派・迫力満点のレースだった。
この感動があるから半世紀も車券を買い続けている・・・・・。