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去年の秋から今年にかけて相撲界で騒ぎが発生。横綱の暴力、立行司のセクハラ、力士の無免許運転、親方衆の苦悩などが話題になった。だが、そんな話は別にして初場所は連日超満員の観客で賑わい、ジョージア出身の平幕・栃ノ心の初優勝をはじめ、名横綱「大鵬」の孫・納谷幸之介(17歳)の登場、さらには1月31日に貴乃花部屋から双子の兄弟が新十両に昇進するなど明るい話題も多かった(文中、敬称略)。
話は飛躍するが、奈良県葛城市に当麻寺(たいまでら)という寺があり、第11代の「垂仁(すいにん)天皇」が在任された約2000年前、近くに住む「当麻蹴速」(たいまのけはや)と、出雲の国の「野見宿祢」(のみのすくね)という怪力を誇る男が対決。蹴速があばら骨を踏み折られて負けたそうだ。これが大相撲の原点で「当麻蹴速之塚」と書かれた石碑がその場所(左上の写真)に完成、現在の相撲に結び付いているという。
その後、どんな強い関取が出たか知らないが、69連勝した双葉山をはじめ、栃錦・若乃花時代や大鵬が活躍したころが懐かしい。中央の写真は北海道を旅行中、川湯温泉の側に「横綱大鵬の実家」と書かれた家を見て撮影したものだが、これから「大鵬の孫」がどんなに成長していくのか。
さらに余談を続けるが、右の写真は兵庫県川西市にある国の史跡「多田神社」で、源平時代の有名な源満仲や源頼光らが活躍する拠点となった「源氏の発祥地」だとか。これだけでも素晴らしいが、神社の一角に1993(平成5)年に第64代横綱になった曙(あけぼの)と、第65代横綱になった貴乃花が奉納した「記念碑」が並んでいる。大相撲にはこうした歴史や逸話が幾つもあるのだろう。
大相撲に比べ創設以来70年という競輪の歴史はあまりにも短いのが残念だが、現時点では大鵬の3代目を超え、4代目の選手が徳島県から出現したのをファンの皆さんはご存じだろ。実をいえば、その話をしたいばかりに相撲のことを長々と説明したのだが―。
今から2年ほど前、徳島県内で「徳島人」という月刊誌を発行する会社から「徳島出身の競輪選手の話を聞かせていただきたい」という話があった。早速、1961、1962(昭和36、37)年に高松宮杯を連覇した笹田伸二をはじめ、水田佳博、吉田清治、新田計三、富原忠夫、住友義博らを紹介。最後に川口浩貴・秀人兄弟は「日本で最初の3代目です」と付け加えた。
ところが、同社から「今、秀人選手の子息が競輪学校に在学中」という知らせがあった。恥ずかしながらそれは初耳で、JKAや日本競輪選手会の資料などを引用させてもらいながら川口家のことを調べた。
初代の川口八百一(やおいち)は明治時代の人で自転車屋を経営していたが、戦前から国内で開かれた各種の自転車競技に参加。戦後、競輪が始まるなり長男の春雄とプロ入りし、次男の武雄に商売を継がせようとした。ところが、武雄も懸命に練習してプロになった。
武雄は1986(昭和61)年に引退したが、彼の子(長男は48期生の浩貴、次男は57期生の秀人)が3代目になり、昨年、111期生としてデビューした秀人の子・雄太が競輪界初の4代目として登場した。
ここで写真説明に移るが、3人で写っているのが武雄と浩貴・秀人の2・3代目の親子。その右側は1986(昭和61)年にデビューし57期生の新人リーグで最初に優勝した川口秀人をはじめ、坂本勉、長谷部純也、石黒正紀ら優秀選手が通産省車両課(当時の名称)から「若鷲賞」を授与された晴れの舞台。さらに右端の写真は1月28~30日に開かれた和歌山競輪に「秀人(左)と雄太親子」の3・4代目が参加した時に撮影したものだ。
その直後、同競輪場の冨田有輝副主査から面白い話を聞いた。この人の家庭は父親をはじめ、当人も弟の元輝もアマチュア相撲の選手で、今は和歌山県庁で働く元輝は日大に在学中、相撲部のキャプテンとして活躍。大鵬の孫・納谷幸之介と日本選手権大会で対戦したこともあるそうだ。私たちはどこで誰と会うか分からないが、不思議なご縁は大切にしたいものである。
続いて2月1日のスポーツ紙に5人のOBが「日本名輪会」に入会したという記事が載った。新会員は左から熊本の宮本義春(前期生)、北海道の藤巻昇(22期生)、京都の荒木実(23期生)、愛媛の伊藤豊明(41期生)、新潟の小橋正義(59期生)の順で古い写真を掲載したが、競輪ファンなら大半の人が彼らのレースや脚力などを覚えておられるだろう。
しかし、選手登録601番の宮本は1985(昭和60)年に引退したので記憶が薄く、なぜ、今ごろにと思われるかもしれない。そこで、少し説明すると、彼は1950(昭和25)年と、1952(昭和27)年に日本選手権(ダービー)を制覇しているが、当時「特別競輪」というのはダービーだけで、その功績が評価され、2年前の「熊本地震」の復活に少しでも貢献してもらいたいという願いもあったのだろう。いずれにしろ、社会のために少しでも貢献したいという思いを込めて発足した競輪だけに宮本義春の日本名輪会への入会は高く評価したいと思う。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 82歳 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。