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前回は去年の12月、公営競技に詳しい北海学園大学経済学部の古林英一教授が札幌から兵庫県西宮市のわが家に来宅。プロ野球阪神タイガースの本拠地(甲子園球場)や、平成14年に廃止した西宮・甲子園両競輪場周辺が苺(イチゴ)畑だった時代の話や、70年前(1948=昭和23年)に小倉で競輪が誕生したころの写真などを見ていただいたことを記事にした。
その直後、大阪大学・関西大学・大阪商業大学などで非常勤講師を務める古川岳志先生から「働く者のスポーツの社会史」という副題のついた「競輪文化」(青弓社発行)という著書(左下の写真)を頂戴した。
競輪界にはこれまでに数多くの人が歴史的な書物を出版されている。左端に掲載した最新の「競輪文化」については後述するとして、その前に2冊目以降の5冊と執筆者などを紹介しよう。
2冊目の「競輪誕生の思い出」は、競輪の創設に大きな足跡を残した倉茂貞助(敬称略、以下も同じ)が79(昭和54)年に出版したもので、この人がいなければ「競輪が誕生したかどうか」と思われるほどの人だ。
古い話だが、第2次世界大戦が終わった翌46(昭和21)年、倉茂は矢沼伊三郎、海老澤清文と3人で「国際スポーツ株式会社」を設立。神奈川県知事に「選手に報償金を渡す自転車競技」という企画書を提出した。これが原型となって48(昭和23)年に小倉競輪の創設に結びついた。倉茂は平成10年に90歳で死去したが、大宮競輪ではその功績を称えて平成14年の53周年記念から倉茂の名をつけた「冠レース」を実施している。
倉茂と同様、川崎競輪には「海老澤清杯」がある。20年ほど前、ご本人の娘婿さんから「清文と清は同一の人物なのです」と聞いたこともあり、これから「競輪の歴史」を調べてみようと思う人がおられたら、資料はいくらでもあるので、両者のほか前述の矢沼伊三郎や一条信幸ら大勢の人の功績を知れば知るほど競輪の面白さが一段と深まるだろう。
3冊目の「1341勝のマーチ」。この数字を見ただけで、競輪界最高の1着回数を記録した著者・松本勝明の雄姿が浮かぶ。彼は終戦後、医者(医師)になるにはまずドイツ語を学ばねばと思い、東京外語大の試験に合格したが、直後の49(昭和24)年に競輪に転向した。大変な転換である。
以来、数々の勝負を乗り越えて81(昭和56)年8月に引退(左下の写真)。その後、日本競輪学校名誉教官、日本名輪会会長(現在は井上茂徳が会長に就任)などを歴任。左下の2番目の写真は去る5月25日、京都向日町競輪の「松本勝明賞」の最終日に井上会長、山本清治、中井光雄及び新会員の荒木実らと共にファンにあいさつ。とても元気な様子だった。
4冊目の「競輪選手になるには」(中野浩一著)は、陸上競技に励んだ高校時代を終えて競輪選手になり、頑張れば誰でもプロレーサーになれると力説している。また、中野が世界選手権で10連覇したことは大勢の人に知られているが、当時、彼が出走する競輪場の車券の売上額は必ず上昇。競輪の人気を一気に盛り上げてくれた逸材でもあった。
その中野は26年前(平成4年)の高松宮杯で現役を退き、東京都内で開かれた引退式(左から3番目の写真)では、左側に立たれた寬仁親王殿下から惜別の言葉と今後の活躍を期待する言葉を贈られたのを思い出す。 続いて「これで競輪のすべてわかる」(阿部道著)と、「全国50競輪場・競輪巡礼記」(横田昌幸著)を紹介しよう。平成27年に出版された阿部の本は「競輪を始めたい」と思う人の心を読みつくしたような出来栄え。
右端の写真は平成13年の秋、700勝達成祝賀会(仙台)で写したものだが、阿部の全盛期、佐藤秀信、河内剛・阿部利美、荒川秀之助・玄太兄弟、小山靖、菅田順和らの宮城勢や、隣県(岩手)の阿部良二、加藤善行とともに「東北勢」が一時代を築いたのも今は懐かしい昔話になった。
もう一人の横田は漫画家で「月刊競輪」が月刊誌として発行されていたころ、全国の競輪場を巡り楽しいマンガで読者を魅了。自らも熱心なファンとして車券を買い悲喜こもごもの話題を提供した。同じころ、現役を退いた私も1986~92(昭和61~平成4)年まで同誌で原稿を書かせてもらったことが「バンクのつぶやき」につながっているのだと感謝している。
話は横道にそれたが、ここで最初に触れた「競輪文化」(古川岳志著)について説明させていただこう。著者が初めて競輪を見たのは大学院生時代の1990(平成2)年だそうだが、競技のスピード、体をぶつけ合う激しい攻防(競り合い)、通常のスポーツと違って金銭を賭けた観客の雰囲気。
だが、競技は完全なスポーツで、競輪を実施しているのは世界で日本だけ。しかも、全員がプロの専業選手で4000人を超えると知ったそうだ。それ以来、「文化としての競輪」と考えて約30年にわたって競輪を研究。「自転車競技が公営競技になるまで」、「競輪の高度成長期」、「都市空間の中の競輪場」、「ギャンブルとスポーツの境界線上で」、「競輪の未来」といったことなど、様々な観点から「働く者のスポーツ社会史」を研究、300ページを超えるすばらしい研究書物として出版された。
もう少し詳しく内容を紹介したいが、前回の北海学園大学経済学部の古林英一教授と同じように、ここまで真剣に競輪を考えて下さる学者がおられたことに感謝して今回の項目を締め切らせていただくことにしたい。
筆者の略歴 井上和巳 昭和10年(1935)年7月生まれ 大阪市出身 82歳 同32(1957)年 デイリースポーツに速記者として入社 同40(1965)年から競輪を担当 以後、定年後も含めて45年間、競輪の記事を執筆 その間、旧中国自転車競技会30年史、旧近畿自転車競技会45年史、JKA発行の「月刊競輪」には井川知久などのペンネームで書き、平成14(2002)年、西宮・甲子園競輪の撤退時には住民監査請求をした。